高津郷(読み)たかつごう

日本歴史地名大系 「高津郷」の解説

高津郷
たかつごう

現益田市高津町地域にあった、長野ながの庄を構成する内部の所領単位。元暦元年(一一八四)一一月二五日の源範頼下文案(益田家文書、以下断らない限り同文書)によれば、御神本兼栄・兼高父子が所領を安堵されたなかに、兼栄分として高津がみえる。貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に、長野庄の一部として「たかつ 十一丁八反」とみえる。元徳三年(一三三一)六月一〇日には六波羅探題が高津兵衛二郎入道と福屋孫太郎に対して、豊田とよた郷内大嶽おおたけ村をめぐる押領事件につきすみ村地頭に六波羅に出頭するよう伝え、起請文を提出させるよう命じている(「六波羅御教書写」内田文書)。この高津兵衛二郎入道は、益田氏の一族福屋氏と同様この時点ですでに在地名名字としているので、平安末以来高津郷を支配していた石見国出身武士と推定される。元弘三年(一三三三)には長門探題を攻撃した武士の中心として高津道性の名がみえるが(博多日記)、この人物と高津兵衛二郎入道は同一人物であろう。


高津郷
たかつごう

和名抄」高山寺本は「奈加津」、東急本は「多加都」と訓を付す。「大日本史国郡志」は「今有本高津、東高津、西高津、山高津諸村、在栗原東北」とする。「日本地理志料」は「岡田荘」と称される本高津もとたかつ飯田いいだ京田きようでん(現上越市)川浦かわうら法花寺ほつけじだい岡田おかだ(現中頸城郡三和村)などの高田たかだ平野南東部一帯にあてる。


高津郷
たかつごう

「和名抄」にみえるが、高山寺本・刊本とも訓を欠く。越後国頸城郡高津郷は「多加津」(刊本)・「奈加津」(高山寺本)と訓ずる。現綾部市の西方から福知山市にかけて高津の地名が残り、現地では「たかつ」と称するのでこれに従う。

郷域は現綾部市から現福知山市にかけての由良川左岸、西方に沖積地が広がり福知山盆地一端を形成する。天田郡との郡境にあたり、南は天田郡六部むとべ郷、西は同雀部ささいべ郷と接する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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