日本歴史地名大系 「転法輪寺」の解説 転法輪寺てんぽうりんじ 鳥取県:東伯郡東伯町別所村転法輪寺[現在地名]東伯町別宮別宮(べつみや)集落西の山麓にある。湯谷山と号し天台宗。本尊は空也像。俗に別所(べつしよ)の上人さんとして知られていた。仁平元年(一一五一)九月日の伯耆国転法輪寺領検注帳案(民経記寛喜三年六月紙背文書)に「最勝寺末寺伯耆国転法輪寺」とあり、この年鳥羽院の命令で八橋(やばせ)郡古布(こう)郷内の寺領の検注が行われており、現作田一四町五段二七〇歩、年荒一町三段一八〇歩、田代二町九段二四〇歩、常々荒野三町二段一二〇歩と報告されている。寺伝によれば承和年間(八三四―八四八)慈覚大師の草創といい、かつては東西六町・南北八町に伽藍を有し、上之坊・中之坊・下之坊の三僧坊があり、湯谷山大教(だいきよう)院と号したという。 転法輪寺てんぽうりんじ 奈良県:五條市犬飼村転法輪寺[現在地名]五條市犬飼町犬飼(いぬかい)集落西部に所在。犬飼山遍照(へんしよう)院と号し、高野山真言宗。俗に犬飼寺ともいわれる。本尊空海像。寺宝に空海画像・狩場明神図(ともに室町時代)などがある。庫裏の裏に空海の墓と称する塚があり、石標には「南無大師遍照金剛 天文廿一年二月廿一日」と刻む。寺記によると弘仁七年(八一六)空海の創設で、「狩場明神に御立会の霊域也」とみえ、空海が南山犬飼(狩場明神)の引率する白黒二狗の先導により高野山を開いたと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の転法輪寺の言及 【金剛山】より …奈良時代,東麓に役小角(えんのおづぬ)が生まれ,当山で修行して以来,修験道が興隆,当山は葛城修験の中心として吉野の金峰山とならぶ霊山となった。山頂付近には役小角開創と伝える金剛山転法輪寺がある。なお金剛山の名称は,この山号にちなむ。… ※「転法輪寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by