日本大百科全書(ニッポニカ) 「近重真澄」の意味・わかりやすい解説
近重真澄
ちかしげますみ
(1870―1941)
無機化学者。高知市生まれ。東京帝国大学理科大学化学科卒業後、同大学院に学び、第五高等学校教授となる。過塩素酸水銀塩類に関する研究、テルルの原子量に関する研究などを発表。1898年(明治31)京都帝国大学化学教室助教授に招かれ、久原躬弦(くはらみつる)とともにインジゴとその誘導体の合成など有機化学の研究にも携わり、1902年理学博士となる。1905~1908年ドイツに留学、タンマンの下で研究。帰国後、教授に任ぜられ無機化学講座を担当し、硫黄(いおう)、セレン、テルルその他の二元系・三元系状態図の研究を精力的に進め、日本の理論無機化学、金相学の基礎を築いた。のちに古銅器や日本刀の金属学的研究も行う。1918年(大正7)京都大学理学部長となり、地質鉱物学教室の創設、物理学・化学教室の拡充、生物化学研究室の増設などに力を尽くし、化学研究所初代所長を務めた。1927年(昭和2)には日本化学会会長に選ばれ、理論化学の発展に貢献した。昭和16年11月16日没。
[後藤忠俊]