通村(読み)とおりむら

日本歴史地名大系 「通村」の解説

通村
とおりむら

[現在地名]能登島町通

能登島の西端、田尻たじり村の南八町のさんくち瀬戸に面して位置する。前面は同瀬戸を隔てて長浦ながうら(現中島町)に対する。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)に「通り」とみえ、誉田氏が給人であった。天正一三年(一五八五)六月一八日の免定写(当摩文書)には「とうり田の尻」と記され、免引は三ツ半。正保郷帳に通り村とみえ、高四一石余、田方三反・畑方二町四反余、免の記載なし。


通村
かよいむら

[現在地名]臼杵田尻たじり 上通かみがよい下通しもがよい

末広すえひろ村の西、末広川の最上流域山間に位置する。臼杵・府内城路が通る。慶長一一年(一六〇六)の惣御高頭御帳に村名がみえ、高二九〇石余、末広村組に属する。村役人は六郎左衛門・隼人。寛永一一年(一六三四)の郷村高付帳(臼杵藩政史料)でも同組に所属、のち末広組に属した(万用集)。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳では高二一五石余(田方一五二石余・畑方六三石余)、うち本高一〇三石余・出来高一一二石余、柴山がある。


通村
とおりむら

[現在地名]伊勢市通町

勢田せた川河口に近い右岸にある。山田から二見浦ふたみのうら(現度会郡二見町)に至る通路にあたり、浜には塩合堤が築かれている。条里遺構がわずかに残る。「神鳳鈔」の度会わたらい郡の項に「土保利御薗」、「外宮神領目録」に「土保利御園塩二斗」と記されている。建治三年(一二七七)六月三日の度会延房処分状案写(光明寺古文書)に「一、通御薗塩浜内先人御采分□□□□、塩浜在家一宇」とあり、当地の塩田の一部が禰宜度会氏の長男に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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