造谷村(読み)つくりやむら

日本歴史地名大系 「造谷村」の解説

造谷村
つくりやむら

[現在地名]印旛村造谷

大廻おおば村の北の台地上に位置。北は竜腹寺りゆうふくじ(現本埜村)、西は惣深そうふけ新田(現印西市)。作屋・作谷とも書く。寛文一三年(一六七三)検地帳(宗像村役場文書)によれば幕府領と旗本朝岡(知行反別八町七反余)・逸見(同三町七反余)溝口(同三町三反余)三氏の相給。なお寛永一五年(一六三八)には大廻村と村境をめぐる争論があった(川砂家文書)。延宝四年(一六七六)に成立した惣深新田のうち一一三石余・下畑二二町七反余が割渡され、同地は幕府領として幕末に及んだ(「惣深新田分検地帳」大沢家文書)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分によれば高二八五石余、幕府領・武蔵久喜藩領、旗本朝岡・溝口領の四給。


造谷村
つくりやむら

[現在地名]筑波町作谷つくりや

筑波稲敷つくばいなしき台地上に所在。北方洞下ほらげ村へ通じる細川ほそかわ街道が村内を走っている。応永一二年(一四〇五)一〇月三日の真言院支配在所注文(税所文書)に「下妻庄造谷郷三代御起請地」とみえる。文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)には「五百五拾四石五斗四升五合壱勺 つくりや」とあり、佐竹(東)義久領であったが同年九月八日付で義久は全石高を町田右馬助に預け渡している(佐竹義久印判状写)。慶長八年(一六〇三)小張藩、寛永一〇年(一六三三)旗本数氏と天領の相給地(筑波郡郷土史)となり廃藩置県に及び、天領では江戸後期に岡田寒泉が代官となっていた(岡田寒泉功徳碑)


造谷村
つくりやむら

[現在地名]旭村造谷

田崎たさき村の南に発達した丘陵上にあり、大谷おおや川が村の中央を貫流する。江戸時代は天領で、元禄郷帳村高は三三三石余、幕末は三五六石余(各村旧高簿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android