江戸前期の黄檗(おうばく)宗の僧。鉄眼版(あるいは黄檗版)大蔵経(だいぞうきょう)の開版で知られる。肥後(ひご)(熊本県)に生まれる。13歳で出家し、のちに京都に出て黄檗宗の隠元隆琦(いんげんりゅうき)や木庵性瑫(もくあんしょうとう)に就いて学ぶ。1668年(寛文8)大蔵経の版木をつくって印刷することを決意し、経典の講義を行うなどしてその資金を集めた。宇治の黄檗山万福寺の寺中に宝蔵院を建て、版木の貯蔵所とし、京都には印房を開いて、開版事業に奔走。1673年(延宝1)、大眉性善(だいびしょうぜん)(1616―1673)より、黄檗山内の塔頭(たっちゅう)(子院)東林庵を譲り受け、宝蔵院をここに移転した。1676年には木庵の法を嗣(つ)ぎその弟子となり、1678年に開版事業を完成させた。この間に、江戸・青山に開蔵寺(のち海蔵寺)を建立し、和泉(いずみ)(大阪府)に瑞竜(ずいりゅう)寺を再興するなどの活動をみせ、1682年(天和2)、近畿地方の大飢饉(ききん)には難民救済に尽力し、同年3月22日に53歳で寂した。
[廣瀬良弘 2017年9月19日]
1630.1.1~82.3.20
江戸前期の黄檗(おうばく)宗の僧。諡号は宝蔵国師。肥後国生れ。はじめ浄土真宗を学び,1655年(明暦元)隠元隆琦(いんげんりゅうき)に参じて禅宗に帰し,木庵性瑫(しょうとう)の法をつぐ。「大蔵経」刊行を発願し,全国を行脚して資財を集め,69年(寛文9)明の万暦版をもとに刊行を開始,81年(天和元)完成した。これを黄檗版大蔵経・鉄眼版という。畿内飢民の救済にも活躍した。女性にむけて説いた「鉄眼禅師仮名法語」などの著述がある。
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