沖縄県(読み)おきなわけん

精選版 日本国語大辞典 「沖縄県」の意味・読み・例文・類語

おきなわ‐けん おきなは‥【沖縄県】

日本列島南西端の県。琉球諸島、大東諸島、尖閣諸島を含む。一二世紀末琉球王朝が開かれ、一四世紀、明に入貢。慶長一四年(一六〇九)島津氏の征討を受けて日本にも服属した。明治五年(一八七二)設置の琉球藩は、同一二年沖縄県となり、清の権益は消滅。大正一〇年(一九二一)本土と同様の県制が施行された。第二次世界大戦後はアメリカ合衆国の統治下におかれ、昭和四七年(一九七二)全面返還された。県庁所在地は那覇(なは)市。琉球。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「沖縄県」の意味・読み・例文・類語

おきなわ‐けん〔おきなは‐〕【沖縄県】

沖縄

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「沖縄県」の解説

沖縄県

日本の南西端に位置する沖縄県は、日本唯一の離島県である。アジア大陸の東縁に弧状に連なる日本列島南西部の琉球諸島にあたり、中国大陸との間の東シナ海と太平洋(フィリピン海)に挟まれた島々が列状に連なる。

自然環境

〔位置と範囲〕

九州島の南から台湾島近くの与那国島(与那国町)まで連なる島々を南西諸島とよぶが、その南半を占める琉球諸島に沖縄県すべての島々が属する。なお南西諸島の北半は薩南さつなん諸島とよばれ、鹿児島県に属する。地理・地学的に南西諸島は琉球弧あるいは琉球列島とよばれる弧状列島(島弧)のすべての島々と、東シナ海上の尖閣せんかく諸島、太平洋上の大東諸島から構成される。琉球諸島(沖縄県)と薩南諸島(鹿児島県)の境界は一般には沖縄島と与論島の北緯二七度線とされるが、沖縄県北端の硫黄鳥いおうとり(久米島町)とから列島横当よこあて(鹿児島県十島村)の境は北緯二八度線ともなる。県最東端は大東諸島の北大東島、最南端は八重山諸島の波照間はてるま(竹富町)、西端は日本最西端でもある与那国島となる。県域は北端の硫黄鳥島から南端の波照間島まで南北約四〇〇キロ、東端の北大東島から西端の与那国島まで約一〇〇〇キロに及び、北緯二四度二分―二七度五二分、東経一二二度五六分―一三一度一九分の範囲にある。

沖縄県(琉球諸島)は沖縄島、西表いりおもて(竹富町)、石垣島、宮古島を主体に島の数一六〇(面積〇・〇一平方キロ以上で、埋立で地続きとなったものを含む)で、その総面積は二二七一・三平方キロ(二〇〇一年県統計)となる。島の面積では一番大きい沖縄島が県全体の約五三パーセントを占め、次いで西表島、石垣島、宮古島、久米島の順で、この主要五島で、約八五パーセントを占める。琉球諸島は沖縄諸島と先島諸島に二大別される。沖縄諸島は沖縄島とその周辺離島(大東諸島・慶良間諸島・久米島など)、先島諸島は宮古島を主体とした宮古諸島と石垣島を主体とした八重山諸島(尖閣諸島を含む)に行政上から区分される。なお群島や列島の名称は一般に行政区分には使用しない。

〔琉球弧の地質構造〕

南西諸島の大部分を占める琉球弧は九州島・台湾島の間に約一三〇〇キロの長さで弓状に延びるが、太平洋側の琉球海溝(南西諸島海溝)と東シナ海側の沖縄トラフ(舟状海盆)に挟まれた地背斜(山脈)状の隆起帯からなる地学上の総称である。東シナ海側に吐喇列島のような活火山を含む火山島列、太平洋側には非火山の島々が大きく二列に並び、前者の火山島列を内弧、後者の非火山島列を外弧とよび区分する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沖縄県」の意味・わかりやすい解説

沖縄〔県〕
おきなわ

面積 2282.59km2
人口 146万7480(2020)。
年降水量 2040.8mm(那覇市)。
年平均気温 23.1℃(那覇市)。
県庁所在地 那覇市
県木 リュウキュウマツ(→マツ)。
県花 デイゴ。
県鳥 ノグチゲラ

南西諸島中ほぼ南半分の沖縄諸島宮古諸島八重山諸島などの約 160島からなる県。北端は鳥島(→硫黄鳥島),南端は波照間島,西端は与那国島でタイワン(台湾)島と相対し,全体として弧を描いて散在する。東端は琉球海溝を隔てて約 360km離れた太平洋上の大東諸島。島々の地形は「高島」と「低島」に分けられる。石垣島西表島久米島のように山地をもつ島が高島で,宮古諸島,黒島竹富島など低平な台地状の島が低島である。沖縄島は北部に山地があり,うるま市以南は低島型。海岸にはサンゴ礁が発達し,紺青の海と白浜が特徴。全体に亜熱帯気候で冬でも東京,大阪の 4~5月の気温。年間降水量は約 2300mmと多い。7月からの台風シーズンに備えて建物などの周囲には石垣,ブロック塀,屋敷林などがめぐらされ,家屋も堅固な造りでブロック建築が目立つ。15世紀頃中国との朝貢貿易で活気づき,那覇泊港には大和船の往来も盛んであった。南蛮貿易,中国貿易で富裕になったが,ポルトガル,スペインの東洋進出などの影響を受けて衰退。慶長14(1609)年薩摩藩に征服されてからは多額の税を課せられ,中国貿易の利潤を吸い上げられて苦しんだ。明治5(1872)年琉球王国(→琉球)から琉球藩となり,1879年琉球藩から沖縄県となる。第2次世界大戦末期にアメリカ軍が上陸,激しい戦闘により県民に多くの犠牲者を出したうえ占領(→沖縄の戦い)。1951年サンフランシスコ条約(→対日講和条約)によってアメリカ合衆国の統治下に置かれた。アメリカの軍事的戦略拠点とされ(→在日アメリカ軍),経済は基地に依存し,第3次産業が肥大化した。巨大な基地存在の矛盾は本土復帰運動を高揚させ,1972年日本への復帰を果たした(→沖縄返還)。3次にわたる沖縄振興開発計画にもかかわらず,産業開発の立ち遅れが課題。西表石垣国立公園慶良間諸島国立公園やんばる国立公園沖縄海岸国定公園および沖縄戦跡国定公園久米島県立自然公園伊良部県立自然公園があり,亜熱帯という気候条件や独特の伝統文化と相まって,観光産業の伸びが著しい。戦跡にひめゆりの塔(→ひめゆり部隊),健児の塔などがあるほか,摩文仁丘(まぶにがおか)に各都道府県の慰霊塔が立ち並び,1995年記念碑「平和の礎(いしじ)」が除幕された。1996年にいたってようやく基地の整理縮小の動きが緒についた。2003年那覇空港ターミナルと首里汀良町を結ぶ沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開通したが,県内交通は自動車に大きく依存する。県外および県内主要島とは航空機と船舶で結ばれている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典 日本の地域ブランド・名産品 「沖縄県」の解説

沖縄県

沖縄地方に位置する県。広大な海域に沖縄本島をはじめとする大小約160の島々からなる島嶼県。日本で唯一亜熱帯地域に属し、温暖な気候に恵まれる。観光業のほか、近年は情報通信産業も盛ん。県花は、デイゴ。県木は、リュウキュウマツ。県鳥は、ノグチゲラ。県魚は、タカサゴ(方言ではグルクン)。

[沖縄県のブランド・名産品]
石垣牛 | 石垣の塩 | うこん | 海ぶどう | 沖縄からしな | 沖縄黒糖 | 沖縄そば | 沖縄もずく | 喜如嘉の芭蕉布 | グルクン | サーターアンダーギー | シークヮーサー | 首里織 | ちんすこう | 壺屋焼 | 豆腐よう | パイナップル | 南風原花織 | 本場久米島紬(久米島紬) | 宮古上布 | 八重山カズラ | 八重山かまぼこ | 八重山交布(グンボウ) | 八重山上布 | 八重山ミンサー | 与那国織 | 読谷山花織 | 読谷山ミンサー | 琉球泡盛 | 琉球絣,琉球かすり | 琉球漆器 | 琉球びんがた | 琉球焼

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域ブランド・名産品」事典 日本の地域ブランド・名産品について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「沖縄県」の解説

沖縄県
おきなわけん

日本最南端の県。東西1000km,南北400kmの広大な海域に島々が分布し,亜熱帯の気候に属する。考古学や言語学などの研究により,島々に居住した人々が古い日本語を話し,日本文化をおびていたことがわかっている。縄文末期からしだいに個性化を強め,弥生文化の影響は少なく,古墳文化に至ってはその痕跡さえ見いだせない。12世紀頃から按司(あじ)とよばれる首長層の対立が激しくなり,14世紀には北山(ほくざん)・中山(ちゅうざん)・南山の3勢力が鼎立する時代を迎えた。中山の尚巴志(しょうはし)は1429年統一権力を樹立し,琉球王国が成立した。琉球は中国との外交・貿易関係を軸に,日本・朝鮮・東南アジア諸国と活発な海外貿易を推進するなど独自の発展をとげた。1609年(慶長14)薩摩軍の武力侵入をうけ,以後鹿児島藩の支配のもとに幕藩体制に編成されたが,一方で伝統的な中国との冊封(さくほう)関係は存続した。明治維新後の1879年(明治12)琉球の編入を目的に政府が軍隊・警察を動員して首里城の明け渡しを迫ったため,王国体制は崩壊し,沖縄県が設置された(琉球処分)。置県後,地域感情を考慮してゆるやかな改革が行われたが,1903年終了の土地整理後に本土並みの制度がほぼ設定された。近代化の進展にともなってハワイ・南米などへの海外移民が増加し,本土工業都市への出稼ぎも活発となる。太平洋戦争末期の地上戦の戦場となり,県民が戦闘に巻きこまれ4人に1人が命を落とした(沖縄の戦)。戦後のサンフランシスコ講和条約で日本の施政権から分離され,アメリカが直接統治するところとなり,各地に広大な米軍基地が建設され,基地優先の軍事施政が進められた。これに対し県民は1960年代から祖国復帰運動,反戦平和運動を活発に展開した。72年(昭和47)5月15日施政権が日本に返還され,沖縄県が復活した。復帰後は政府による格差是正事業が推進され,民間資本による観光・リゾート開発が進むなど急激な変貌をとげつつある。だが広大な米軍基地は温存されたままである。県庁所在地は那覇市。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android