改訂新版 世界大百科事典 「郊祭」の意味・わかりやすい解説
郊祭 (こうさい)
jiāo jì
中国古代において,皇帝がその国都の郊外で天または地をまつった祭祀をいう。〈郊祀〉ということが多い。天地をまつることは,《礼記(らいき)》《周礼(しゆらい)》などの経書に散見されて,古くから行われていたようであるが,その起源の詳細については不明。漢代に入って儒教が国教化されるとともに,この祭祀も典礼化され,以来,天地をまつることは,皇帝の専権となった。そのなかでも,泰山などの霊岳において行われる封禅の秘儀は,最も重大なものと考えられた。歴朝,冬至の日に天を南郊にまつり,夏至に地を北郊にまつるというのが一般的であったが,南郊で天地を合祭することもあった。現在,北京にある天壇と地壇とは,その明・清の遺跡である。前者が円丘,後者が方丘であるのは,天円方地の思想を体現したものである。郊祀の祭礼には,音楽が演奏されたが,漢の武帝のときには,司馬相如らの宮廷詩人たちが歌辞を作り,楽人李延年らがこれを奏した。歴朝の郊祀歌は,正史の礼楽志に見え,五代以前のものは,宋の郭茂倩(かくもせん)の《楽府(がふ)詩集》にまとめられている。
執筆者:稲畑 耕一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報