太陽の天球上の運行径路である黄道上のもっとも南にある点を冬至点といい、太陽がこの点を通過する時刻が冬至である。太陽の視黄経が270度に達する時刻で、赤緯はマイナス23度27分である。日本、中国の暦の二十四節気の一つで11月中である。太陽暦の12月22日ころにあたり、冬季の真ん中である。この日の正午における太陽の高度は北半球ではもっとも低く、昼の長さはもっとも短く、夜の長さはもっとも長い。南半球ではこの反対となる。中国、日本の太陰太陽暦では冬至は暦の計算の起算点として重要なものであるが、今日の天文暦の推算は春分点が重要な役をもつ。
[渡辺敏夫]
暦のうえでは立冬と立春の真ん中にあたるが、実際の寒さはこのころから厳しくなる。冬至からその1週間後くらいまでの間に通過し、本土の太平洋側にも初雪を降らせることもある低気圧を年末低気圧という。この年末低気圧が一つの折れ目になって、本格的な冬に入る年が多い。冬至前の12月は冬の季節風も弱く、また持続せず、ロンドン型の冬のスモッグはこのころに集中しておこったが、最近は石炭などによる煤煙(ばいえん)が急激に減少したので、この型のスモッグは少なくなった。
[根本順吉]
この日は太陽の光が弱まり植物も衰弱して農耕生活に一種の危機が訪れるとともに、またこの日からふたたび昼の日照時間が長くなり、新しい太陽が輝き始めるときでもある。したがって、世界の諸民族の間にも、この日を陽気の回復、再生を願う日、また太陽の誕生日とするような観念がうかがえる。中国では天子が冬至の日に天を祭るのを郊天の儀といい重要な儀式である。また西洋のクリスマスも、もとは陽気回復を祝う風習がその背景にあったのだといわれる。
世界的にこの日は一陽来復、農耕の再生の力をもたらす神聖な旅人が村にやってくる日と信じられ、日本では弘法大師(こうぼうだいし)が村を巡るという伝承が広く伝えられている。小豆粥(あずきがゆ)や団子をつくって供える大師講(こう)の行事がこの旧暦11月23日夜から翌日にかけてみられる。また、冬至とうなすなどといってカボチャを食べたり、コンニャクを食べる風習があり、カボチャを食べると中風(ちゅうぶ)にならないなどともいわれている。またこの日は柚湯(ゆずゆ)に入るという風も一般的である。いずれも衰弱からの再生という冬至をめぐる観念に呼応する儀礼といえよう。
[新谷尚紀]
『『年中行事』(『定本柳田国男集13』所収・1963・筑摩書房)』▽『和歌森太郎著『年中行事』(1957・至文堂)』
黄道上の黄経が270°の点を冬至点といい,太陽の中心がこの点を通過した瞬間を冬至という。現行の暦では毎年12月22日ころ起こる。太陽はこのときもっとも南に位置し,日本のような北半球にあってはこの日に日中の長さがもっとも短く,太陽の南中時の影の長さがもっとも長い。日本で用いられた陰暦,すなわち中国流の太陰太陽暦では冬至は暦法の原点として二十四節気のうちでもっとも重要なものであった。暦法はまず太陽の影の長さを測定して冬至の日時を決め,前年の冬至の日時との差から1太陽年の長さを決めることが基本となった。暦法が決定し毎年の暦を作る際も,まず前年の冬至を求めそこから出発して1年分の暦を計算した。このときの前年の冬至を天正冬至といい,天保暦以前,すなわち1843年まではこの冬至の日時に暦法で決められている1太陽年の24分の1を加えていって順次二十四節気の日時を求めていたのである。また,冬至の含まれる月を11月とするという決りがあり,とくに冬至が11月朔日に当たると,これを朔旦冬至といって祝賀が行われた。
執筆者:内田 正男
植物の生長がとまったり太陽の光が衰えてくることは不安なことで,太陽復活を願って大火をたいたり,神々の来臨を仰いで危機脱出をはかろうとする祭りが冬至の前後に行われる。太陰太陽暦(旧暦)においてはほぼ霜月下弦の日を冬至に該当させ,この夜大子(おおいこ)という神の子が人々に幸いや新たな生命力を与えて再生を促すために各地を巡遊するという信仰があった。これは西洋のサンタ・クロースの伝承にもつながるもので,日本では弘法大師と結びつけ,大師講の行事としているところが少なくない。また,冬至に収穫の感謝や天候占いをする例もあり,カボチャを食べると中風にかからないといったり,ユズ湯に入れば風邪をひかないというところは多い。冬に珍しいカボチャには,おそらく冬の祭りの神供としての意味があったのであり,ユズ湯に入るのは禊(みそぎ)のなごりかとされている。
執筆者:田中 宣一
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…冬至のこと。また,春の到来や凶事が去って吉事がふたたびもどって来ることをいう。…
…貯蔵中1~2月の低温にあうと果皮や果肉が腐るから高温を保つ。【浅山 英一】
[民俗]
カボチャはボウブラ,ナンキン,トウナスともよばれ,冬至に食べると中風や風邪を患わないという。冬至にカボチャを食べる風習は江戸時代に広まったと考えられる。…
…このような地上生活による一年の区分に対して,やがて天体の観測を通して一年を区分する方法が行われるようになった。夏至と冬至の祭りがそれである。このほか,春分の日にも祭りが行われた。…
… 一般に,この時期に大きな祭りを行うことは古い時代の社会の慣習であった。なかでも揺籃期のキリスト教会が改宗を願っていたローマ人やゲルマン人の間には,冬至の祭が盛大に行われていた。納屋には収穫した穀物がたっぷりと積まれている。…
…黄道は天の赤道に対して約23度27分傾斜しており,太陽が赤道の南から北へ通過する交点を春分点と呼び,北から南へ通過するものを秋分点と呼ぶ。また太陽が赤道の北側でもっとも離れた点が夏至であり,南側でもっとも離れた点が冬至である。黄道をおうどうと読む人もいる。…
…農事と密着した天地の祭祀,暦の制定を天子が掌握し,民間の季節の祭りが天子のそれと一致する部分の多いことが,中国の特色といえる。漢代すでに年初や夏至,冬至などが祝祭日とされていたが,とくに唐代以後,権力者と農事・宗教的行事などの民間の慣行が調和して数多くの祝祭日が制定された。上元(1月15日),中和節(2月1日),清明節(寒食の第3日(冬至から105日目)),上巳(3月3日),端午(5月5日),重陽(9月9日。…
…二十四節気は,太陰太陽暦を使用してきた中国の暦法の場合,各月を決定し季節を知るうえでの目印であった。初期には北斗七星の斗柄が指す方角によって各月を決め,《書経》尭典(ぎようてん)に見えるように春,夏,秋,冬の季節を知るために,それぞれ鳥(うみへび座α星),火(さそり座π星),虚(みずがめ座β星),昴(すばる,プレヤデス)の南中時によって春分,夏至,秋分,冬至の二分二至を決めたが,やがて季節の変化を示す節気は太陽の動きによって決められるようになった。周代から春秋時代には日晷(につき),つまり日時計(あるいはノーモン)を用いて,太陽が投ずる影の長さがもっとも長くなる冬至,もっとも短くなる夏至の時点を決める方法が行われるようになった。…
…年中行事が,稲作社会を背景に成立しているからであろう。 北半球の温帯域では,だいたい冬至を新年の基準にしている。おもな作物の収穫後に新年を置く暦法で,日本古来の新年も,大嘗祭(だいじようさい)の日であったらしい。…
※「冬至」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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