都萬神社(読み)つまじんじや

日本歴史地名大系 「都萬神社」の解説

都萬神社
つまじんじや

[現在地名]西都市妻

一ッ瀬川の氾濫原と西都原さいとばる古墳群がのる台地の間に展開する中間台地の縁辺に位置する。木花開耶姫命を祀り、旧県社。都萬は妻・妻万とも書き、地元では「さいまん様」とよばれる。また古くは妻万大明神・妻万大五社明神などともいった。境内には宇戸うと神社・霧島きりしま神社・四所ししよ神社・妻八坂つまやさか神社の境内社四社が鎮座し、高さ四〇メートル余、目通り一一メートル余のクスの大木は「妻のクス」として国指定天然記念物。神社の南西には当社神宮寺の寺跡がある。

〔古代・中世〕

草創の経緯は不詳であるが、「続日本後紀」承和四年(八三七)八月一日条に「子湯郡妻神」とみえ、同じ児湯こゆ郡の都濃神、宮崎郡の江田神、諸県もろかた郡の霧島岑神とともに官社に列せられている。天安二年(八五八)には日向国内五神に対する神階昇叙が行われており(おそらく清和天皇の即位を契機とする)、このときは従五位上から従四位下に昇っている(「三代実録」同年一〇月二二日条)。「延喜式」神名帳には児湯郡二座のうちに「都萬神社」とみえ、小社。

妻万宮縁起(郡司信介家文書)などによれば五社明神ともいうのは妻万社を筆頭に平郡社・臼杵高知尾社・櫛間社・江田社の五社を祀ることに由来するという説や妻万の本地が「妻 尺迦鹿嶋」「妻 観音伊勢」「平郡矢久渡 薬師春日」「鹿那田潮霧島 地蔵平岡」「文殊三輪 三才若宮」であるからという説があり、平安後期から中世においては日向国の有力な神社を合祀していたとみられる。当社は国府域の中にある神社で、神職は平安時代から日向国衙の在庁職を独占してきた日下部氏が勤め、惣社的な機能をもっていたとみられる。建久図田帳では「妻万宮領九十八丁」とみえ、その後に「清水社六十丁」「江田社三十丁」「高知尾社八丁」と記される。この図田帳の記載の解釈は難しいが、縁起にある五社明神としての性格と関係しているとも解釈できる。


都萬神社
つまじんじや

[現在地名]大崎町仮宿

仮宿かりじゆく地区の南方、国道二二〇号北側にある。主祭神は木花開耶姫。旧郷社。木花開耶姫命が瓊瓊杵尊の后であるため「つまの宮」と称したという。。江戸時代末までは妻万五社大明神・妻万一之宮大明神と号し、社名は江戸時代は「さいまん」とも読まれた(三国名勝図会・三州御治世要覧)。妻万五社大明神という呼称は、日向国五郡の郡ごとに妻万神社が一社ずつあったことによるとされる。当社の創建の時期は不明だが、古くは北方原田はらだ(現有明町)にあり、天文九年(一五四〇)一一月二三日当地に移されたと伝え、原田の旧社地は旧宮もとみやという(三国名勝図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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