ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鄧子恢」の意味・わかりやすい解説
鄧子恢
とうしかい
Deng Zi-hui
[没]1972.12.10. 北京
中国の政治家,革命家。 1916年日本に留学し,帰国後,黄埔軍官学校を卒業。 25年国民党,26年中国共産党に入党。 30年 閩西ソビエト政府主席,31年中華ソビエト政府財政人民委員に選ばれた。紅軍の長征に際しては後方に残留した。 34年瞿秋白らとともに国民政府軍に捕えられたが脱走。日中戦争中は新四軍第4師政治委員。 45年党中央委員となり,49年中原臨時人民政府主席を経て,中華人民共和国成立以後は農政部門の指導者として活躍し,党中央農村工作部長をつとめた。 55年農業合作化の発展速度などについて慎重論を主張。毛沢東との意見対立が起き,「右傾日和見主義」と批判された。 1960年代初期,農業生産の請負制を主張したが,再度毛沢東によって批判され実権を失った。 69年九全大会で中央委員に当選したが,文化大革命の迫害から逃れなかった。 72年北京で病死。 81年中共中央の決定によって名誉が回復され,農村政策も再評価された。
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