酔っ払いたちの故事成語
人生において楽しみはいろいろありますが、多くの人に共通するのは、お酒を飲む楽しみでありましょう。中国の文化史にも、酒好きで鳴らした人物がたくさん登場します。
■その代表格はといえば、八世紀、唐王朝の時代の詩人、李白。彼はいわゆる天才肌の詩人で、なおかつ酒豪。大量のお酒を飲んでは、大量の詩を作っていったとのこと。そのようすは、「李白一斗詩百篇」という故事成語として、語り伝えられています。
■酒好き詩人として、李白に勝るとも劣らぬ名声を得ているのが、四~五世紀、東晋王朝の時代の詩人、陶淵明です。この人は、お酒を飲みながら、もっぱら日ごろの憂さを晴らしていた模様。ある詩の中で、お酒のことを「忘憂の物」と呼んでいます。
■陶淵明より少し前、三世紀、三国時代の文人、嵆康は、「玉山(宝石の山)」にもたとえられる、立派な風貌で知られていました。そんな彼でも、酔っ払うことがあって、そこから、立派な人が酔いつぶれることを指す「玉山崩る」という故事成語が生まれています。
■このように、お酒を飲めば酔うのが当然ですが、それが酒の楽しみなのではない、と主張した文人もいます。一一世紀、北宋王朝の欧陽脩が、その人。彼は、雅号を「酔翁」といったというほどの酒好きでしたが、「酔翁の意は酒には在らず」ということばを残しています。美しい自然を楽しむために酒を飲むのだ、というのですが、はたして本当はどうだったのでしょうか。
■欧陽脩と同じように、お酒を飲みながら自然を愛でていたのは、一六~一七世紀、明王朝の時代の文人、洪自誠。「花は半開、酒はほろ酔い」とは、彼の著、「[菜根譚]」から生まれた故事成語。この人は、節度を持ってお酒を飲んでいたようですね。
■ちなみに、紀元前六~五世紀に儒教を開いた聖人、孔子も、お酒が好きだったようです。「酒は量無し、乱に及ばず」というのが、その飲み方。「乱れない範囲で」という条件付きながらも、「どれだけ飲むかは決めていない」というのですから、かなりの量を飲んだんじゃないでしょうか。
■以上、故事成語からも、人それぞれのさまざまなお酒の飲み方がうかがえる、というお話でした。
出典 故事成語を知る辞典故事成語を知る辞典について 情報
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