野古墳群(読み)のこふんぐん

日本歴史地名大系 「野古墳群」の解説

野古墳群
のこふんぐん

[現在地名]大野町野

揖斐川・根尾ねお(藪川)に挟まれた扇状地北端部に立地。約一キロ四方の範囲に六基の前方後円墳と六基の円墳がある。国指定史跡。最大の古墳は登越のぼりごし古墳で、前方部を南に向ける三段築成の前方後円墳。全長八三メートル、後円部径五二メートル、高さ七・三メートル、前方部幅四二メートル、高さ五・八メートルを測り、葺石・埴輪を有する。南出口みなみでぐち古墳は当古墳群中最も南にある前方後円墳で、三段築成、全長七五メートル。明治二年(一八六九)に後円部の竪穴式石室から鏡・刀・鏃・馬具が出土したという。鏡は中国製の金四霊三端鏡で、「尚方作竟」と始まる鋳造のいわれを示した銘文を有する。同古墳の北の南屋敷西みなみやしきにし古墳は二段築成の前方後円墳で、全長七三・六メートルを測り、埴輪を有する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「野古墳群」の解説

のこふんぐん【野古墳群】


岐阜県揖斐(いび)郡大野町野にある古墳群。町内の野渓谷から堂ヶ洞一帯に位置し、現在でも旧状を比較的よく残している古墳群。わずか400m四方のせまい範囲に前方後円墳や円墳が27基以上あったと考えられ、古墳の大きさは大きいもので80m前後ととくに大型ではないが、平野部にこれだけの数がそろっているのは埼玉県行田市の埼玉(さきたま)古墳群以外にほとんど見られない。かつては27基以上の古墳があったと推測できるが、現存するのは1号~12号の12基だけで、2号~6号が前方後円墳、7号は帆立貝形古墳、1号と8号~12号が円墳である。このうち1~6号には土地の字(あざ)名から取った古墳名があり、1号はモタレ古墳で円墳だが、前方部に削られたような痕跡があり、前方後円墳との説もある。2号は不動塚古墳、3号は南屋敷西古墳、4号は登越古墳で野古墳群最大の前方後円墳であり、全長83m、後円部径52m、後円部の高さ7.3m、前方部の長さ42m、前方部の高さ5.8m。5号は南出口(城塚)古墳、6号は乾屋敷(不動庵塚)古墳である。南出口古墳からは鍍金(ときん)された鏡が出土し、現在は東京五島(ごとう)美術館に保管されている。樽見(たるみ)鉄道樽見線本巣(もとす)駅から車で約8分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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