野市場村(読み)のいちばむら

日本歴史地名大系 「野市場村」の解説

野市場村
のいちばむら

[現在地名]可児今渡いまわたり

可茂かも盆地の中央部、西流する木曾川南岸にあり、東西に中山道が通る。金屋かなや村と合せて今渡と称した。明暦三年(一六五七)の今渡町年貢断願書(恵土文書)に「今渡新町六拾弐年以前、森右近様御知行之時御立被成地子御ゆるし被成候」とあって、文禄四年(一五九五)に新町として発足したようである。享和二年(一八〇二)村絵図(岐阜大学博物館蔵)には中山道の両側家並が描かれ、野市場村と金屋村との家が明確に分れていない。同絵図によれば東が金屋村、西が野市場村の耕地であるが家は金屋村と入交じっていた。


野市場村
のいちばむら

[現在地名]平田町蛇池じやいけ

脇田わきだ村の北東に位置する。天正一一年(一五八三)九月一日の織田信雄宛行状(吉村文書)に「のいちば」とあり、当地などが吉村氏吉に与えられている。同一四年七月二三日には野市場郷一五一貫四二一文などが氏吉に与えられた(「織田信雄黒印知行目録」同文書)慶長郷帳に野一市場村とみえ、高一七一石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では徳永昌重(高須藩)領。正保郷帳では幕府領で、田四七石余・畑二八石余・無地高九九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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