日本歴史地名大系 「野平村」の解説 野平村のだいらむら 長野県:北安曇郡八坂村野平村[現在地名]八坂村野平現八坂村東部の犀(さい)川左岸に位置し、犀川を隔てて旧松代領、現更級(さらしな)郡大岡(おおおか)村に対する。野平の名は、文禄年間(一五九二―九六)に成立したとみられる筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附に「四拾九石三升七合 舟場・野平・上宇村」とみえるのを初見とし、舟場(ふなば)村と区別している。しかし、「信府統記」の「新田開発時節改」では「大町組舟場村枝郷野平村 開発高別レ共ニ不相知」として、古くは舟場村の枝郷として開発されたものであることを伝えている。 野平村あしのたいらむら 群馬県:甘楽郡下仁田町野平村[現在地名]下仁田町南野牧(みなみのまき)市(いち)ノ萱(かや)川沿いに位置し、同川沿いを下仁田道が通る。東は藤井(ふじい)村・本宿(もとじゆく)村、西は三瀬(みつせ)村と接する。近世はおおむね幕府領。寛文郷帳には「吉野平村」とあり、元禄郷帳では枝村となる道平(どうだいら)村・中平(なかだいら)村との三ヵ村合計高四一石余はすべて畑方。後期の御改革組合村高帳では高八四石余、家数三二。特産物として、楮・麻・繭・生糸・玉繭・雉子・下駄・荷桶・小桶・炭・芋・栗などがあげられ(年未詳「物産取調書」並木文書)、当村名主の特産物売上一覧(同文書)によると、麻が五七パーセントを占め、養蚕二六パーセント、林業(杉山売・屋根板・杉板)一三パーセント、山稼(栗実・鳥・白ぶどう)、楮などが続いている。 野平村のだいらむら 長野県:北安曇郡白馬村野平村[現在地名]白馬村大字北城(ほくじよう) 野平姫川(ひめがわ)盆地の北端、姫川右岸で丘陵性山地の間にあり、野平新田(のだいらしんでん)村ともとなえられていた。「信府統記」の「新田開発時節改」によれば慶安二年(一六四九)に従来属していた飯田(いいだ)村から高分れして一村をなしたことが知られる。同年の松本藩の検地帳(松沢寅雄氏蔵)によると、村高一六石七斗七升一合、役家五軒という小村であったことが知られ、江戸時代末の安政二年(一八五五)に至っても、村高二二石五升二合六勺とわずかに増加しているに過ぎない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by