野田神社(読み)のだじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「野田神社」の意味・読み・例文・類語

のだ‐じんじゃ【野田神社】

  1. 山口市上宇野令字野田にある神社。旧別格官幣社毛利敬親元徳をまつる。明治六年(一八七三豊栄(とよさか)神社境内別殿に奉斎して忠正神社と称したが、翌年現名に改称。同一九年現在地に遷座。

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日本歴史地名大系 「野田神社」の解説

野田神社
のだじんじや

[現在地名]山口市大字上宇野令

七ッ尾ななつお山の南麓豊栄とよさか神社の西隣に鎮座する。毛利敬親・毛利元徳を祭神とし、旧別格官幣社。

敬親は萩藩第一三代藩主で、明治維新後の明治四年(一八七一)山口で没した。同六年豊栄神社境内別殿に忠正ちゆうせい神社として祀ったが、同一〇年これを野田神社と改称。同一九年現在地に社殿を造営して遷座した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野田神社」の意味・わかりやすい解説

野田神社
のだじんじゃ

山口市大字上宇野令(かみうのりょう)字野田に鎮座。毛利敬親(もうりたかちか)・元徳(もとのり)父子を祀(まつ)る。敬親・元徳父子は幕末の萩(はぎ)藩主で、明治維新に貢献した。1873年(明治6)敬親(1871没)は、有志によって先祖元就(もとなり)を祀る豊栄(とよさか)神社境内別殿に奉祀(ほうし)され、諡号(しごう)忠正(ちゅうせい)により忠正神社と称された。74年、地名によって現社名に改称。ついで県社に列し、98年元徳を合祀(ごうし)。1915年(大正4)別格官幣社に列せられた。

[阪本是丸]

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百科事典マイペディア 「野田神社」の意味・わかりやすい解説

野田神社【のだじんじゃ】

山口市上宇野令に鎮座。旧別格官幣社。祭神は毛利敬親・元徳。初め豊栄(とよさか)神社の境内に1873年創建。1886年現地に移建。敬親は明治維新の時の萩藩主。

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