豊栄神社(読み)トヨサカジンジャ

デジタル大辞泉 「豊栄神社」の意味・読み・例文・類語

とよさか‐じんじゃ【豊栄神社】

山口市上宇野礼にある神社祭神毛利元就もうりもとなり。慶長5年(1600)毛利輝元創建。仰徳大明神。

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精選版 日本国語大辞典 「豊栄神社」の意味・読み・例文・類語

とよさか‐じんじゃ【豊栄神社】

  1. 山口市上宇野令にある神社。旧別格官幣社。毛利元就をまつる。慶長九年(一六〇四)毛利輝元が萩江向の春日神社内に創祀。明治二年(一八六九神号を賜わり、同四年に現在地に遷座。

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日本歴史地名大系 「豊栄神社」の解説

豊栄神社
とよさかじんじや

[現在地名]恵庭市大町三丁目

いざり川左岸に鎮座する。祭神は大国魂大神・豊宇気姫神。旧郷社。明治七年(一八七四)茂漁もいざり(現在地)小祠建立したのが起源。同二四年八月に七坪の神殿を建設し、札幌神社から大国魂大神の分霊を勧請して祀り、絵庭えにわ神社と称した。同三四年八月に恵庭神社として神社創立出願し、同年九月に許可を得た。これとは別に明治一九年に山口県移民が郷里山口市の豊栄神社(祭神豊宇気姫神)の分霊を祀る小祠を中島なかじまに建立していた。


豊栄神社
とよさかじんじや

[現在地名]山口市大字上宇野令

七ッ尾ななつお山の南麓に鎮座。祭神は毛利元就。旧別格官幣社。

毛利輝元は慶長九年(一六〇四)安芸国より萩城に移るにあたり、祖父元就の霊を萩の春日かすが神社に祀った。同一二年にはこの社を城内三の郭に遷座。さらに宝暦一二年(一七六二)には七代藩主重就によって郭内鎮守の土地とち神社を改造、毛利家始祖天穂日命および元就をここに合祀し、明和七年(一七七〇)仰徳大明神の神号を受けた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「豊栄神社」の意味・わかりやすい解説

豊栄神社
とよさかじんじゃ

山口市上宇野令(かみうのれ)字野田に鎮座。正一位毛利元就(もうりもとなり)を祀(まつ)る。旧別格官幣社。1600年(慶長5)関ヶ原合戦に敗れた毛利輝元(てるもと)が安芸(あき)国(広島県)から長門(ながと)国(山口県)萩(はぎ)に国替になった際、毛利家中興の祖元就の霊を同所江向(えむかい)村の春日(かすが)神社内に祀ったのに始まる。1762年(宝暦12)、時の藩主重就(しげなり)は、城内二ノ郭(くるわ)鎮座の官知の土地神社を改造して、元就の霊と毛利氏の始祖天穂日命(あめのほのひのみこと)とを合祀(ごうし)、70年(明和7)仰徳大明神の号を受けた。1869年(明治2)天皇より豊栄の神号を賜り、71年山口野田七尾山麓(さんろく)に現社殿を造営した。

[阪本是丸]

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百科事典マイペディア 「豊栄神社」の意味・わかりやすい解説

豊栄神社【とよさかじんじゃ】

山口市の七尾山麓に鎮座。旧別格官幣社。祭神は毛利元就(もとなり)。1600年に小祠を創建したのが始まりと伝え,明治維新後,現地に移建。
→関連項目野田神社

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