金剛勝院跡(読み)こんごうしよういんあと

日本歴史地名大系 「金剛勝院跡」の解説

金剛勝院跡
こんごうしよういんあと

[現在地名]東山区五軒町

青蓮しようれん(現東山区)前身の寺で最勝金剛さいしようこんごう院ともいった。現存しない。当地は東西に通る三条通を挟む町で、かつては西側をしら川が流れていたため、金剛勝院は三条白川しらかわ(房)、略して三条坊・白川坊ともよばれた。「明月記」承元元年(一二〇七)七月二八日条に、「白河新御所御渡、(中略)二条東、河原自押小路末自金剛勝院西、入御」とあり、「華頂要略」に金剛勝院「則青蓮院御門跡、洛陽之御坊也、始号松ノ坊、大乗坊寛慶座主草創、在于三条白川ノ南」とあるのと符合する。


金剛勝院跡
こんごうしよういんあと

[現在地名]鹿島市大字山浦字大殿分

現在大殿分おおとのぶん蓮厳れんご院とよばれる真言宗御室派の寺院があり、平安時代にはこの付近に金剛勝院という大寺院が建立されていたという。創建については多くの伝承があるが、確実な資料を欠き、年代や由来などを明確に知ることはできない。記録としては、江戸時代の中期頃に編集されたと推定される「岩屋物語」、貞享二年(一六八五)に鹿島四代藩主鍋島直条が編集した「鹿島志」、その他「寺社差出」「肥前古跡縁起」「寺院明細帳」「藤原姓原氏族譜」などがある。

金剛勝院は山岳仏教の道場として開かれた岩屋いわや山を背景に、仁和にんな寺の荘園の預り所があったと思われるこの付近に創建され、荘園に関する事務もこの院内で執行されたのではないかと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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