ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「金奎植」の意味・わかりやすい解説
金奎植
きんけいしょく
Kim Gyu-sik
[没]1950. 満浦鎮?
韓国の独立運動家,政治家。号は尤史。孤児として宣教師 H.アンダーウッドのもとで西洋式教育を受け,光武1 (1897) 年渡米,同8年プリンストン大学大学院卒業。帰国後延禧専門学校教授。 1913年中国に亡命し,19年には大韓民国臨時政府の外務総長としてパリ講和会議に派遣され,欧米委員部 (外交代表部) 委員長として活躍。 22年モスクワで開かれた極東民族大会に朝鮮代表として参加,23年アメリカのローノク大学で名誉博士となり,北京,南京,四川などの各大学で講義を行なった。 35年南京で民族革命党を組織し,党首。 44年重慶で臨時政府の副主席となり,45年解放とともに帰国。 46年民主議院副議長,過渡立法議院議長となり,中間派のリーダーとして左右合作に尽力し,48年南朝鮮での単独選挙に反対して金九とともに南北協商のため平壌に行ったが成果はなく,政府樹立後引退。 50年朝鮮戦争の際に後退する北朝鮮軍に拉致され,満浦鎮で死んだと伝えられる。
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