金山越
かなやまごえ
金山から日野郡溝口町藤屋を抜け、さらに同町二部へ通ずる峠越えの道で、近世には出雲や米子・会見郡と美作や上方方面に通じる最短通路としてよく利用された。法勝寺往来の枝道の一で、作州街道ともよばれた。米子―溝口―二部―根雨(現日野町)と通る出雲街道が大名の参勤交代路であったのに対し、この峠越えの道は法勝寺往来の本道である五輪峠経由の道とともに庶民の道、いわゆる脇街道として機能をよく果した。当峠は鉄荷を中心とする商品や一般庶民の往来ばかりだけでなく、雲州母里藩や同松江藩・広瀬藩の家中もよく利用したが、深雪の冬期は歩行に難渋することが多かった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報
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