金沢町村
かねざわまちむら
[現在地名]新庄市金沢・
下田町・
鉄砲町・
東谷地田町・
万場町・
常葉町・
本町・
住吉町・
沖の
町・
多門町・
上金沢町・
下金沢町・
末広町・
若葉町・
大町 羽州街道が北へ延び、鳥越村からやや西に向きを変え、新庄城下に入る町並を中心とする一帯。鳥越村境に一里塚が残り、五角形の塚の上にブナの巨木がそびえる。新田本村鑑に枝郷として山屋・梨子木・閑居・関屋・紙漉町が記される。天正一六年(一五八八)と思われる二月一六日の庭月和泉守宛の最上義光書状写(楓軒文書纂所収文書)に「真室之地を根城持詰、庄内仙北之防ヲも致度候間、典膳・安食七兵衛付丹与三なとへ、兼而能々相談候而、少も油断有間敷候」とあるが、安食七兵衛を新庄金沢の館主とする説もある(増訂最上郡史)。
新庄城下の南入口に位置するため、特異な性格をもち、また形態をしている。天保九年(一八三八)頃の金沢町村絵図(新庄市教育委員会蔵)によれば、羽州街道に沿って南北に屋敷割がなされ、通りに面して南側に四九軒、北側に五五軒ある。一間の間口は大部分は六間半から八間で、奥行は三〇間である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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