釜塚村(読み)かまつかむら

日本歴史地名大系 「釜塚村」の解説

釜塚村
かまつかむら

[現在地名]和束町大字釜塚

なか村の南方に位置し、村域は和束川の両側にわたる。東方は童仙房どうせんぼう(現南山城村)に続く山地。「京都府地誌」は村の地味について「其色赤黒錯雑シ其質上等ニ居ル、稲梁ニ適シ桑茶ニ宜シ、然トモ土地高燥ナルヲ以テ水利極メテ不便、時々旱ヲ患フ」と記す。

江戸時代には和束郷の一村で、高二七五・六石、禁裏新御料(享保一四年山城国高八郡村名帳)。明治一〇年代の調べでは田一六町余、畑六・八町余、戸口は八四戸、三七五人、物産として製茶があった(京都府地誌)

釜塚村
かまづかむら

[現在地名]佐原市釜塚

下総台地北部に位置し、北は新部につぺ村。中世は香取社領のうちにあった(耕地と集落の歴史)集落は東の新市場にいぢば村と新部村に連なる丘陵地に形成され、水田はおもに南方の小野おの川の谷に広がる。新市場村の枝郷(元禄郷帳・天保郷帳)。慶長四年(一五九九)の矢作領検地では新市場村の枝村として「鎌塚」とみえる(「部冊帳」伊能家文書)。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に釜塚村とみえ、高七五石、旗本佐橋領。

釜塚村
かまづかむら

[現在地名]板倉町釜塚

せき川支流大熊おおくま川右岸に位置し、西は不動ふどう新田、北は中野宮なかのみや村に接する。正保国絵図に村名がみえ、延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳に高一〇七石一斗余とある。天和三年(一六八三)検地帳(釜塚区有文書)によれば高一二七石余、うち山高二石三斗三升三合、田七町余・畑七町八反余、家数一二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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