釜本邦茂
かまもとくにしげ
[生]1944.4.15. 京都,京都
[没]2025.8.10. 大阪
サッカー選手,指導者。日本代表のフォワード FWとして 1968年メキシコシティー・オリンピック競技大会に出場し,得点王に輝く活躍でチームを銅メダルに導いた。
京都府立山城高等学校から早稲田大学に進学し,大学2年生の 1964年に東京オリンピック競技大会に出場した。1967年,日本サッカーリーグ JSL(Jリーグの前身)のヤンマーディーゼル(のちの Jリーグのセレッソ大阪)に入団。翌年のメキシコ五輪では計 7得点をあげ,3位決定戦の対メキシコ戦で左サイドの FW杉山隆一からパスを受けて 2点を奪い 2─0で勝利,日本男子サッカー史上最高成績の五輪銅メダルに大きく貢献した。1978~84年ヤンマーの監督兼選手。恵まれた体格から放つ強烈なシュートを武器に,1984年の現役引退までに,JSLで通算 251試合出場,202得点,得点王 7回,アシスト王 3回,年間最優秀選手賞 7回という前人未到の成績を残した。日本代表としても,国際Aマッチ 76試合に出場し 75得点をあげた。1991~95年,Jリーグのガンバ大阪監督。1995~2001年参議院議員。日本サッカー協会 JFAでは副会長や強化推進本部長などを務めた。2005年第1回選考により日本サッカー殿堂入り。2014年旭日中綬章受章。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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釜本邦茂
かまもとくにしげ
(1944―2025)
サッカー選手、監督、日本サッカー協会顧問。日本サッカー史上最高といわれるストライカー。4月15日、京都府生まれ。中学校から本格的にサッカーを始め、山城(やましろ)高校、早稲田(わせだ)大学を経てヤンマーディーゼルに入社。19歳でA代表入りし、日本代表の中心選手としてオリンピック・東京大会、メキシコ大会に出場した。とくにメキシコ大会では日本の銅メダル獲得に大きく貢献、自身も7ゴールをあげて得点王に輝いた。代表選手として231試合(うち国際Aマッチ76試合)に出場して153得点。国際Aマッチの男子の通算得点75は日本最多である。日本リーグでも七度の得点王に輝き、リーグ最多の202得点をあげた。1984年(昭和59)に引退。ガンバ大阪の初代監督を務めた。2005年(平成17)日本サッカー殿堂入り。
[中倉一志]
『釜本邦茂著『ゴールの軌跡――釜本邦茂自伝』改訂版(1995・ベースボール・マガジン社)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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釜本邦茂 かまもと-くにしげ
1944- 昭和後期-平成時代のサッカー選手,指導者。
昭和19年4月15日生まれ。早大2年で東京五輪に出場。関東大学リーグで4年連続得点王。ヤンマーディーゼルにはいり,昭和43年メキシコ五輪で得点王となり,銅メダル獲得の原動力となる。日本リーグ在籍17年間に202得点,得点王7回。ヤンマー監督,ガンバ大阪監督をつとめ,平成7年参議院議員(自民党)。10年日本サッカー協会副会長。17年日本サッカー殿堂入り。京都出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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釜本 邦茂 (かまもと くにしげ)
生年月日:1944年4月15日
昭和時代;平成時代の元・サッカー選手
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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