鍋山城(読み)なべやまじょう

日本の城がわかる事典 「鍋山城」の解説

なべやまじょう【鍋山城】

岐阜県高山市にあった山城(やまじろ)。高山市街の東方約3km、大八賀川右岸の独立峰・鍋山(標高753m、比高約170m)の山頂に築かれていた城である。鍋山には3つの頂があるが、その一つの大鍋山に鍋山城の本丸、小鍋山に二の丸(二の郭)、下鍋山に出丸が築かれていた。高山市周辺の最古の城といわれる三仏寺城(高山市)の城主・鍋山豊後守が天文年間(1532~55年)に築き、新たな居城としたとも、あるいは飛騨国の守護・京極氏の家臣多賀氏が築城したともいわれ、築城年代・築城者は定かではないが、戦国時代には鍋山氏が居城としていた。天正年間(1573~93年)の初め、城主の鍋山豊後守は家名存続のため、実子がいるにもかかわらず、飛騨で強大な勢力に成長した三木自綱(これつな)の弟・顕綱を養子に迎えて嫡子とした。しかし、家督を継いだ顕綱は、のちに甲斐の武田氏に通じたとして、実兄の自綱に毒殺されている。鍋山氏はその後も三木氏に従ったが、自綱は織田信長死後の主導権争いで羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敵対した越中の佐々成政と同盟したために、秀吉麾下の金森長近に攻められた。1585年(天正13)、この長近の飛騨攻めで鍋山城は落城し、長近が同城攻略後、居城とした。長近は城の整備城下町の建設に着手したが、山間の狭隘な土地にあるため、新たに高山城(高山市)を建設し、その城下に町を整備する方針に切り替えた。高山城の完成とともに、鍋山城は廃城となった。現在、大鍋山の本丸跡に総延長約40m、幅約5.5m、高さ約2mの石垣が残っているほか、小鍋山の二の丸の南西隅にも石垣の遺構が残っている。JR高山本線高山駅からタクシー。鍋山麓の四天王神社横に城山の登山口がある。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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