高山城(読み)たかやまじょう

日本の城がわかる事典 「高山城」の解説

たかやまじょう【高山城】

岐阜県高山市にあった戦国時代から江戸時代前期にかけての平山城(ひらやまじろ)。同県指定史跡。現在の高山市街東方の城山(標高686.6m、臥牛山・巴山とも)に築かれた城郭である。高山城の前身は、飛騨守護の京極氏に仕えた多賀出雲守徳言が文安年間(1444~48年)に城館を築き、のちに高山外記が山頂部に築城したといわれる天神山城(多賀山城)である。1582年(天正10)の本能寺の変後、豊臣秀吉越前の柴田勝家と越中の佐々成政と対立した際、飛騨を平定した松倉城(高山市)の三木自綱(これつな)(別名・姉小路頼綱)は成政と同盟して秀吉に対抗した。このため、越前(福井県)の大野城(福井県大野市)の金森長近が秀吉の命を受けて自綱を攻め飛騨を制圧して飛騨3万3000石を領有した。長近は当初、鍋山城(高山市)を居城としたが、1588年(天正16)に、天神山城跡に全国有数規模の山城を築き、居城としたのが高山城である。長近は1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いで東軍(徳川方)に与したことから、飛騨の領地を加増され、飛騨高山藩の初代藩主となった。長近は1600年(慶長5)ごろまでに高山城の本丸・二の丸を完成させ、その後三の丸を整備した。高山城は、織田信長が築城した安土城(滋賀県近江八幡市)の影響を受けたともいわれる御殿風の古い城郭形式をもち、2層3階の天守をそなえていた。また、長近は城の整備と並行して城下町の整備を進め、町屋武家屋敷の建設とともに、京都に倣(なら)って東山に多数の寺院を建立させた。今日の高山の町の原型がこうしてできあがった。初代の長近を含め、可重、重頼、頼直、頼業、頼時の金森氏6代が居城とした。1692年(元禄5)、金森頼時の代に出羽国(山形県)上山藩へ国替えになり、高山城は加賀藩主・前田綱紀の預かりとなり、1695年(元禄8)には天領(幕府直轄領)となったために高山城は廃城、破却処分になった。現在、城跡は2万m2の広さをもつ城山公園となっており、高山市街や乗鞍岳など北アルプスを一望できるほか、園内には三の丸堀、二の丸石垣、天守閣跡のほか、各曲輪(くるわ)、土塁などの遺構が残っている。また、同県重要文化財の法華寺本堂(高山市)は、かつての高山城の建造物の一部を移築したものといわれている。なお、高山一帯が天領となり、高山城が廃城になった後、金森氏の下屋敷跡に陣屋(高山陣屋)が置かれた。JR高山本線高山駅から徒歩約20分。

こうやまじょう【高山城】

鹿児島県肝属郡肝付町新富にあった山城(やまじろ)。大隅(おおすみ)半島を制覇し、島津氏と対抗した肝付氏(きもつきし)の本城。1036年(長元9)、肝付兼俊が大隅国肝属郡の弁済使となって城を築き居城としたといわれ、1580年(天正8)、阿多に移封され廃城となった。南に本城川、北に栗山川、西は高山川、東はシラス台地の急崖という天然の要害に立地し、深く広い堀と急峻な切岸に囲まれた曲輪(くるわ)群で構成されていた。現状は、本丸・二の丸・三の丸などが区別しやすい状況で残っているが、本丸は原形が崩れかかり、建造物は残っていない。JR指宿枕崎線南鹿児島駅から南海便船で垂水港下船、バスで役場前下車。◇肝付城(きもつきじょう)という。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の高山城の言及

【高山[町]】より

…町域のほとんどは国見山を中心とする肝属山地で,北西部にシラス台地と,肝属川および支流の高山川がつくる沖積平野が広がる。平安時代から戦国期末まで高山城を築いて島津氏に対抗した肝付氏の本拠地として栄え,近世は薩摩藩の直轄地となって地頭が置かれた。志布志湾に面する波見は中世には倭寇(わこう)の拠点で,頭目の重氏は豪商として知られた。…

※「高山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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