鏡山城跡(読み)かがみやまじようあと

日本歴史地名大系 「鏡山城跡」の解説

鏡山城跡
かがみやまじようあと

[現在地名]東広島市西条町御薗宇

西条盆地のほぼ中央、標高三三五メートルの鏡山に築かれた山城。大内氏の東西条とうさいじよう支配の拠点。一般には鏡城とよばれた。県指定史跡。比高は一〇〇メートル余で山容も急峻とはいえないが、西条盆地を一望でき、四周への交通にも至便。山頂御殿場と称する本丸をおき、東にそれぞれ井戸をもつ中のダバ・下のダバという郭があり、さらに東に屋敷跡と称する細長い郭がある。本丸の西側は堀切や石組の門、二の丸・藤の丸が続き、南には馬のダバ、北にも物見台などを配する。

室町初期に大内氏が東西条を支配下に入れた頃までには築城されていたと思われる。曲折はありながらも大内氏はその後もこの地を掌中にし、寛正二年(一四六一)幕府が東西条を武田氏に渡すよう命じた時もこれに抵抗している(同年六月九日付「安芸東西条事書写」小早川家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「鏡山城跡」の解説

かがみやまじょうあと【鏡山城跡】


広島県東広島市鏡山にある山城跡。西条盆地のほぼ中央、安芸備後をつなぐ街道筋に位置する鏡山に築かれた山城。標高280~330mにあたる城跡には、造成された郭(くるわ)、急峻な切り岸、竪堀(たてぼり)などが良好な状態で残り、山頂付近には井戸もある。1998年(平成10)に国の史跡に指定された。安芸支配をもくろむ周防(すおう)・長門の大内氏が、長禄・寛正年間(1457~66年)に築城し、安芸・備後支配の拠点とした。その後、大内義興(よしおき)の時代になっても、その重要性は変わらなかった。やがて出雲の尼子(あまご)氏が安芸に勢力を伸ばし、1523年(大永3)、尼子経久(つねひさ)に従っていた毛利氏当主、毛利幸松丸(こうまつまる)の後見人である毛利元就(もとなり)が、大内方の蔵田房信の守る鏡山城を攻めたが、戦線は膠着。元就は、計略で蔵田家の家督の継承を条件に房信の叔父直信を寝返らせて、尼子軍を城内に手引きさせ、鏡山城は落城、房信は自害した。元就はこの鏡山城の戦いで勇名を馳せた。1525年(大永5)、ふたたび大内氏が城を奪回したが、より堅固な別の城を築き、鏡山城はその役割を終えた。現在は鏡山公園として整備されている。JR山陽本線西条駅から車で約11分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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