長慶寺跡(読み)ちようけいじあと

日本歴史地名大系 「長慶寺跡」の解説

長慶寺跡
ちようけいじあと

[現在地名]高岡市長慶寺

臨済宗法灯派の寺院。山号は護国山。開山絶巌運奇は放生津ほうじようづ(現新湊市)興化こうげ寺の開山恭翁運良の弟子であり、鎌倉末から南北朝初期の開創とみられる。運奇の弟子に無尽蔵海があり、加賀妙雲みよううん寺を開き、運奇を勧請開山としている(本朝高僧伝)。現高岡市長慶寺の地は室町前期の越中守護斯波氏の守護所守山もりやま地内で、その保護を受けて発展した。住持は十刹となった興化寺に昇住することが多いが、五山へ昇った例は少なく、越中の法灯派寺院内で活動するに留まったようである。文安四年(一四四七)以前に諸山に列している。「蔭涼軒日録」長禄二年(一四五八)一〇月三日条に越中長慶寺真継首座とあり、また寛正三年(一四六二)三月二日条に等章文苑首座が入寺に際し公帖を得たとある。


長慶寺跡
ちようけいじあと

[現在地名]能代市上町

能代町の中央、門前もんぜん町の北側にあった。曹洞宗、万年山と号し、本尊十一面観音。

寺院台帳(秋田県庁蔵)に「長禄年間本寺九代草庵守瑞和尚創立」とある。菅江真澄の「花の出羽路」に「此寺もと天台にて、比内の田代山のうち、長剣といふ処に天台の寺ありしか、としを経てすたれたるを、寺号斗をもて弘治のころ、長慶庵といふ禅林になしつ。またほどなう万年山長慶寺となしつ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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