日本大百科全書(ニッポニカ) 「長連弘」の意味・わかりやすい解説 長連弘ちょうつらひろ(1815―1857) 江戸時代後期の加賀藩士。3万3000石の長氏9代にあたり、1847年(弘化4)大隅守(おおすみのかみ)に任じられる。年寄衆の一員として政権の座につくと儒者上田作之丞(うえたさくのじょう)を中心とする黒羽織(くろばおり)党を用い、保守的年寄衆を代表する奥村栄実(ひでざね)の遺(のこ)した諸政策を排し、綱紀の粛正、財政緊縮、海防政策を掲げ、流通政策の改革を実施しようとした。しかし、改革の急変を憂えた年寄衆が反対、54年(安政1)罷免された。[田中喜男] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長連弘」の解説 長連弘 ちょう-つらひろ 1815-1857 江戸時代後期の武士。文化12年8月13日生まれ。加賀金沢藩士。天保(てんぽう)2年長家3万3000石をつぎ,年寄衆となる。嘉永(かえい)2年政権の座につき,儒者上田作之丞門下の黒羽織(くろばおり)党の藩士を要職につけ藩政の革新をはかったが,保守派の反対で7年職をとかれた。安政4年4月22日死去。43歳。本姓は本多。通称は九郎左衛門。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
367日誕生日大事典 「長連弘」の解説 長連弘 (ちょうつらひろ) 生年月日:1815年8月13日江戸時代末期の加賀藩士1857年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報