開元・天宝の治(読み)かいげん・てんぽうのち(その他表記)Kai-yuan Tian-bao zhi zhi; Kai-yüan T`ien-pao chih chih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「開元・天宝の治」の意味・わかりやすい解説

開元・天宝の治
かいげん・てんぽうのち
Kai-yuan Tian-bao zhi zhi; Kai-yüan T`ien-pao chih chih

中国,唐朝第6代玄宗の治世 (713~756) をその年号,開元,天宝にちなんで呼ぶ。祖母則天武后以来韋后らに及ぶ女人政治を排し,内乱を平定した玄宗は,姚崇 (ようすう) ,宋 璟 (そうえい) ,張説らの賢相に助けられ,括戸 (かっこ) を実施して担税戸口を増加登録し,府兵制崩壊に対処して中央軍制を立直し,また節度使による辺防体制を固め,翰林,集賢院といったアカデミーを整備して文運を隆昌に導き,唐の極盛期とともに中国古代文化の最盛期をもたらした。しかし,晩年は政治に倦み,社会の矛盾が深まり,ついに安史の乱破局を迎える。

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