開元天宝遺事(読み)かいげんてんぽういじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「開元天宝遺事」の意味・わかりやすい解説

開元天宝遺事
かいげんてんぽういじ

中国盛唐栄華を物語る遺聞を集めた書。五代の翰林(かんりん)学士などを歴任した王仁裕(じんゆう)(880―956)が、後唐(こうとう)の荘宗のとき、秦(しん)州節度判官となり、長安に至って民間に伝わる話を捜集し、159条を得て本書にまとめたという。ただし南宋(なんそう)の洪邁(こうまい)(1123―1202)は本書を王仁裕の名に仮託したものと述べている。玄宗楊貴妃(ようきひ)の逸話をはじめ、盛唐時代への憧憬(しょうけい)が生んだ風聞説話として味わうべき記事が多い。

[池田 温]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「開元天宝遺事」の意味・わかりやすい解説

開元天宝遺事
かいげんてんぽういじ
Kai-yuan Tian-bao yi-shi; K`ai-yüan T`ien-pao i-shih

盛唐の栄華を伝える遺聞を集めた中国の書。五代翰林学士などを歴任した王仁裕 (880~956) 撰。後唐の荘宗のとき,彼は秦州節度判官となり,長安にあって民間の故事を採集し,159条を得て本書にまとめたという。ただし南宋の洪邁は本書を王仁裕の名に仮託したものと述べている。『顧氏文房小説』所収2巻本のほか,数種の叢書に収められ,寛永 16 (1639) 年の和刻本もある。

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世界大百科事典(旧版)内の開元天宝遺事の言及

【玄宗】より

… この盛世はしかし,新しい時代の到来という現実に対処しながらも,崩れゆく貴族社会への回帰,立て直しを志向する矛盾に満ちた政策,悪くいえば姑息な策を弄してバランスを保ったつかの間の輝きであったともいえる。唐末五代の王仁裕の《開元天宝遺事》が伝える華麗な宮廷生活,盛唐の詩人たちがうたいあげる長安の栄華にかくれて,農民の窮乏は深刻となり財政は迫しつつあった。過渡期の不安を象徴するかのように,中央では貴族出身の官僚と新興勢力である科挙出身官僚との対立が激しく,また募兵制の採用により各地に配置された節度使,とりわけ貴族出身の宰相李林甫が保身のために利用した異民族出身の節度使たちが勢力を拡大していた。…

※「開元天宝遺事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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