松田伝十郎(読み)まつだ でんじゅうろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田伝十郎」の解説

松田伝十郎 まつだ-でんじゅうろう

1769-1843 江戸時代後期の探検家。
明和6年生まれ。越後(えちご)(新潟県)の農漁業浅貝源右衛門の子。幕臣松田伝十郎の養子となり,その名をつぐ。寛政11年幕府の東蝦夷地(えぞち)直轄に際して蝦夷地御用掛となる。文化5年間宮林蔵とともに樺太(からふと)を探検,林蔵よりさきに樺太が島であることを発見した。文政5年24年間にわたる蝦夷地御用を免じられ,支配勘定役となる。天保(てんぽう)14年死去。75歳。名は元敬。著作に「北夷(ほくい)談」など。
格言など】カラフトは離島なり 大日本国々境と見きわめたり(新潟県柏崎市にある碑文)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「松田伝十郎」の解説

松田伝十郎
まつだでんじゅうろう

1769~?

近世後期の幕臣・北方探検家。越後国頸城郡鉢崎村の農民の子。のち幕府小人目付松田伝十郎の養子となる。1799年(寛政11)蝦夷地御用掛となり東蝦夷地に赴く。1803年(享和3)箱館奉行支配調役下役として択捉(えとろふ)島に至り越年。08年(文化5)間宮林蔵とともに樺太見分の命をうけ,林蔵にさきだち樺太が島であることを確認した。のち山丹(さんたん)交易の改善,ゴロブニン一行の護送にかかわった。著書北夷談」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松田伝十郎」の意味・わかりやすい解説

松田伝十郎
まつだでんじゅうろう

[生]明和6(1769).江戸
[没]?
江戸時代後期の幕臣。名は元敬。寛政 11 (1799) ~文政4 (1821) 年幕府が蝦夷地を直轄したとき,松前奉行支配調役下役元締として現地事務にあたった。間宮林蔵と樺太 (サハリン島) 探検にも従事し,そのときの記録『北夷談』 (一名『松田氏四六筆記』) の著書がある。

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世界大百科事典(旧版)内の松田伝十郎の言及

【越後国】より

…村上の人本多利明は1798年(寛政10)《西域物語》を著して西洋の事情を紹介,日本のとるべき立場を述べた。松田伝十郎は間宮林蔵とともに樺太に渡り,1808年(文化5)間宮海峡を発見した。43年幕府は北海防御の台場を築くため新潟町を幕領とし,奉行所を設置した。…

※「松田伝十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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