陣内村(読み)じんないむら

日本歴史地名大系 「陣内村」の解説

陣内村
じんないむら

[現在地名]大津町陣内

中島なかしま村の北、もり村の西に位置する。瀬田下せたした井手水路が通り、水田地帯となっている。「国誌」に「里俗上陣内村ト云」とある。慶長一三年(一六〇八)検地帳によると、人数一三八、屋敷数五八・家数一一五、牛馬三三、田九四町四反余、畠(屋敷を含む)一〇四町一反余、分米一千九二二石六斗余。寛永一〇年(一六三三)人畜改帳では下町組に属し、上陣内かみじんない村と下陣内しもじんない村に分れ、それぞれほかに「出分」がある。上陣内村は戸数八・家数三二、人数四〇、牛馬一〇。

陣内村
じんないむら

[現在地名]熊本市竜田町陳内たつだまちじんない黒髪くろかみ七丁目

立田たつだ山の東南面に位置し、東は上立田かみたつだ村、西は宇留毛うるげ村、南は白川にほど近く、豊後街道が走る。「国誌」は村名の由来について「立田将監立田在城ノ時、諸士等此所ニ居住シテ陣内ト称シ、此所ヨリ立田城ニ通勤セシト云」とする。慶長一三年(一六〇八)の検地帳では田方八町二反余・畠方三六町七反余、分米三五六石三斗余、竈数三一・棟数八六、男四八・女五一、馬八・牛二二。また神主が八畝六歩の屋敷と一町三反二七歩の田畠をもっており、「国誌」に「阿蘇三宮大明神社」と記載されるものであろうか。寛永一二年(一六三五)の地撫帳では坪井源右衛門手永に属し、当竿前は田六町余・畠二七町二反余・山畑七反余、このほか野開一反五畝三歩がある。

陣内村
じんないむら

[現在地名]田主丸町鷹取たかとり

樋口ひのくち村の西に位置する。巨瀬こせ川右岸に屋敷地があり、耕地耳納みのう山地北麓から巨瀬川左岸に樋口村・吉本よしもと村・蔵成くらなり村・蔵八くらはち村・亀王かめおう村分などと入組み散在する(上三郡絵図)。本高は七六石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高六〇石・役高一六一石。享保一二年(一七二七)の夏物成は大麦三石四斗余・小麦一石七斗・菜種五斗余(「本地夏物成帳」中村家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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