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陵山里古墳群 りょうざんりこふんぐんNǔngsanri

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陵山里古墳群
りょうざんりこふんぐん
Nǔngsanri

韓国忠清南道扶余邑陵山里にある古墳群。扶余は,もとは百済最後の都,泗ひであり,扶余から論山に向う道路に沿った北側の丘陵地帯に,古くから王陵と伝えられた古墳群がある (→扶余遺跡 ) 。 1910年代に黒板勝美,関野貞,谷井済一によって計6基の古墳が発掘された。

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世界大百科事典 第2版の解説

りょうざんりこふんぐん【陵山里古墳群 (R)Nǔngsanni‐kobungun】

大韓民国,忠清南道扶余郡扶余邑陵山里にある古墳群。三国時代百済後期の王都泗沘(扶余)の故地から,東方へ3km余りの羅城外にあって,6世紀後半から7世紀前半にかけて築造され,当時の王陵が含まれると推定されている。伝王陵群と,その東方に少し離れて東古墳群があり,さらにその東方にも塼敷や割石積みの石室の一群がある。6基からなる伝王陵群は,1915年と17年に発掘調査された。いずれも円形の墳丘をもち,裾部に切石または割石の外護列石をもつものが多い。

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世界大百科事典内の陵山里古墳群の言及

【百済】より

… 第4期の扶余時代の墓制は,公州時代に始まった羨道つきの箱形石室墓が中心であるが,全羅北道南原・鎮安地方では加羅式の石槨墓が中心である。扶余邑の陵山里古墳群は丘陵の南斜面にあって,横穴式の長方形の石室墓で,切石をていねいに積みあげた高句麗式の築造法である。陵山里1号墳には高句麗の四神の壁画がある。…

【扶余】より

…これらの遺跡群は,羅城によって囲まれた範囲内に位置する。そして,羅城の外,扶余邑の中心部から東方3kmあまりのところに,陵山里古墳群があって,そのころの百済王族の墳墓地とされる。【西谷 正】。…

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