明治〜昭和期の日本史学者 東京帝大名誉教授;日本古文化研究所長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
歴史学者。虚心と号する。明治7年9月3日長崎県に生まれる。第五高等学校、帝国大学文科大学国史科を卒業。帝国大学史料編纂(へんさん)事項取調(とりしらべ)(後の史料編纂所)嘱託となり、また田口卯吉(うきち)の下で経済雑誌社版の『国史大系』の校訂に従事。のち帝国大学文科大学講師、助教授、教授となり、史料編纂官を兼ね『大日本古文書』の出版に尽力するとともに、未開発の分野であった古文書学の研究に励んだ。1905年(明治38)「日本古文書様式論」で文学博士。19年(大正8)文学部専任となる。『新訂増補国史大系』66巻の刊行を企画、実現した。政治的手腕に優れ、帝室博物館(現東京国立博物館)の震災復興をはじめ各地の博物館の建設や、日本古文化研究所設立を企画し、朝鮮史編修会顧問を務め、多くの府県史の編纂を指導した。36年(昭和11)62歳のとき脳溢血(のういっけつ)で倒れ病床につく。壮年期にはエスペラント学会の活動を支え、後年、記念メダル第1号を授与された。自分の外遊中も同学会が資金に困らないよう配慮し、名著『国史の研究』初版(1908)の印税を提供した。昭和21年12月21日死去。
[益田 宗]
『黒板勝美著『更訂国史の研究』全3巻(1931~36・岩波書店)』▽『黒板勝美著『虚心文集』全8冊(1939~41・吉川弘文館)』▽『黒板博士記念会編・刊『古文化保存と研究』(1953)』
歴史学者。号は虚心。長崎県に生まれる。1896年東京帝国大学文科大学を卒業し,同大学院に入り,同時に史料編纂掛嘱託となる。1902年東大文科大学講師(1919年教授)となり,古文書学の講義をし,研究を続け,日本の古文書学を確立した。29年から《新訂増補国史大系》(全64巻)の校訂出版に着手した。その後,日本古文化研究所長,史学会理事など多くの要職につき,文化財の保存や日本史学の発展に尽力した。また,日本でのエスペラントの開拓者としても著名である。著書には《国史の研究》(1908)のほか,《虚心文集》(全8巻)がある。
執筆者:高峰 慧
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1874.9.3~1946.12.21
明治~昭和前期の歴史学者。長崎県出身。東大卒。草創期の日本古文書学の体系化に大きな功績があった。旺盛な活動力で多方面に足跡を残し,長期間にわたり東京帝国大学で国史学を講じて後進の育成にたずさわった。「国史大系」「新訂増補国史大系」など史籍の校訂・出版に尽力し,東山文庫や醍醐寺の古文書を調査,藤原宮跡の発掘を指導した。その歴史観の集成ともいうべき日本史の概説書「国史の研究」は,きめ細かい時代区分法を提示するなどの新工夫もあって,戦前の学界で広く支持された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…国史の大きな系(たていと)にしたいという意気込みで,新造語〈大系〉を書名につけた。田口は,予約募集当初,通行本を翻刻しただけの簡便な出版を考えていたが,大学を卒業したばかりの黒板勝美の意見を入れ,厳密な校訂を施すことにし,その実務を黒板にあたらせた。刊行後,黒板は新しい書目を加え《新訂増補国史大系》60巻・別巻2巻(66冊)を編修刊行した(1929‐64)。…
※「黒板勝美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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