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黒板勝美 くろいた

美術人名辞典の解説

黒板勝美

歴史学者。長崎県生。号は虚心。東大教授。古文書学を修め、東京帝大史料編纂掛で『大日本古文書』の編纂に従事、古文書学の学問としての体系化に貢献する。史跡名勝天然物調査会等の委員として文化財の調査・保存の方針を固め、日本文化研究所を設立、藤原宮跡の発掘で大きな成果を挙げる。著書に『国史の研究』『虚心文集』等がある。昭和21年(1946)歿、82才。

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デジタル大辞泉の解説

くろいた‐かつみ【黒板勝美】

[1874~1946]歴史学者。長崎の生まれ。号、虚心。東大教授。「国史大系」の校訂に従事。日本古文書学の確立者。エスペラント語開拓者でもある。著「国史の研究」「虚心文集」など。

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百科事典マイペディアの解説

黒板勝美【くろいたかつみ】

歴史学者。長崎県生れ。号は虚心(きょしん)。東大国史学科卒業後,田口卯吉のもとで《国史大系》の校訂出版に従事。1919年東大教授。日本の古文書学を確立。1929年から《新訂増補国史大系》の校訂出版に着手,また日本古文化研究所を興す。
→関連項目南北朝正閏問題

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

黒板勝美 くろいた-かつみ

1874-1946 明治-昭和時代の歴史学者。
明治7年9月3日生まれ。東京帝大の史料編纂(へんさん)員をへて大正8年教授。日本の古文書学を確立する。国宝保存会委員や日本古文化研究所長をつとめ,文化財,史跡の保存につくした。エスペラントの紹介者でもある。昭和21年12月21日死去。73歳。長崎県出身。帝国大学卒。号は虚心。著作に「国史の研究」「虚心文集」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

くろいたかつみ【黒板勝美】

1874‐1946(明治7‐昭和21)
歴史学者。号は虚心。長崎県に生まれる。1896年東京帝国大学文科大学を卒業し,同大学院に入り,同時に史料編纂掛嘱託となる。1902年東大文科大学講師(1919年教授)となり,古文書学の講義をし,研究を続け,日本の古文書学を確立した。29年から《新訂増補国史大系》(全64巻)の校訂出版に着手した。その後,日本古文化研究所長,史学会理事など多くの要職につき,文化財の保存や日本史学の発展に尽力した。また,日本でのエスペラントの開拓者としても著名である。

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大辞林 第三版の解説

くろいたかつみ【黒板勝美】

1874~1946) 歴史学者。長崎県生まれ。号は虚心。東大教授。日本古文書学の確立者。「国史大系」の校訂に従事。また、日本初のエスペラント辞書を編纂。著「国史の研究」「虚心文集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

黒板勝美
くろいたかつみ

[生]1874.9.3. 長崎,大村
[没]1946.12.21. 東京
明治末期~昭和の歴史学者。虚心と号する。 1896年7月東京大学史学科卒業後,田口卯吉を助けて『国史大系』『群書類従』を校勘。のち東京大学史料編纂所に入り,史料編纂官,次いで 1919年東大教授となり,日本の古文書学を確立。『古文書様式論』 (1903) を著わした。日本古代文化研究所を起し,その所長として藤原京を発掘。日本におけるエスペラント語の先駆者でもある。『国史の研究』『虚心文集』その他の著書がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

黒板勝美
くろいたかつみ
(1874―1946)

歴史学者。虚心と号する。明治7年9月3日長崎県に生まれる。第五高等学校、帝国大学文科大学国史科を卒業。帝国大学史料編纂(へんさん)事項取調(とりしらべ)(後の史料編纂所)嘱託となり、また田口卯吉(うきち)の下で経済雑誌社版の『国史大系』の校訂に従事。のち帝国大学文科大学講師、助教授、教授となり、史料編纂官を兼ね『大日本古文書』の出版に尽力するとともに、未開発の分野であった古文書学の研究に励んだ。1905年(明治38)「日本古文書様式論」で文学博士。19年(大正8)文学部専任となる。『新訂増補国史大系』66巻の刊行を企画、実現した。政治的手腕に優れ、帝室博物館(現東京国立博物館)の震災復興をはじめ各地の博物館の建設や、日本古文化研究所設立を企画し、朝鮮史編修会顧問を務め、多くの府県史の編纂を指導した。36年(昭和11)62歳のとき脳溢血(のういっけつ)で倒れ病床につく。壮年期にはエスペラント学会の活動を支え、後年、記念メダル第1号を授与された。自分の外遊中も同学会が資金に困らないよう配慮し、名著『国史の研究』初版(1908)の印税を提供した。昭和21年12月21日死去。[益田 宗]
『黒板勝美著『更訂国史の研究』全3巻(1931~36・岩波書店) ▽黒板勝美著『虚心文集』全8冊(1939~41・吉川弘文館) ▽黒板博士記念会編・刊『古文化保存と研究』(1953)』

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世界大百科事典内の黒板勝美の言及

【国史大系】より

…国史の大きな系(たていと)にしたいという意気込みで,新造語〈大系〉を書名につけた。田口は,予約募集当初,通行本を翻刻しただけの簡便な出版を考えていたが,大学を卒業したばかりの黒板勝美の意見を入れ,厳密な校訂を施すことにし,その実務を黒板にあたらせた。刊行後,黒板は新しい書目を加え《新訂増補国史大系》60巻・別巻2巻(66冊)を編修刊行した(1929‐64)。…

※「黒板勝美」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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