陽雲寺(読み)よううんじ

日本歴史地名大系 「陽雲寺」の解説

陽雲寺
よううんじ

[現在地名]上里町金久保

神流かんな川がからす川に注ぐ平野部、県道勝場かつぱ―本庄線(旧中山道)の南側沿いに位置する。崇栄山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。かつては上野国小幡おばた(現群馬県甘楽町)宝積ほうしやく寺末。元久二年(一二〇五)京都建仁けんにん寺住持明全の創建と伝えられ、初め唄樹山満願まんがん寺と号し、臨済宗建仁寺派であったという。寺伝によれば、元弘三年(一三三三)新田義貞が鎌倉幕府打倒を祈願して当寺に不動堂を建立、新田勝軍不動と称して寺領一〇〇貫文を寄進した。長禄元年(一四五七)二月、一四世天英祥貞が曹洞宗に改め中興開山となる。寛正三年(一四六二)関東管領山内上杉顕定の求めにより、将軍足利義政から寺領二五〇貫文を受け、以後、足利・上杉両家の祈願所となった。

陽雲寺
よううんじ

[現在地名]榛原町大字笠間

笠間かさま集落西部の後村上天皇中宮源顕子の笠間山かさまやま陵の傍らに位置。鳳凰山陽雲禅寺と号し、曹洞宗。本尊は如意輪観音。平安後期の創建にかかり、堀河天皇・後白河天皇の勅願寺院であったという。また建徳元年(一三七〇)の創立で、後亀山天皇の勅願寺として寺号を賜い、寛永年中(一六二四―四四)再建の堂宇が荒廃したため、大正一〇年(一九二一)に再建したとも伝える。当地は南朝の北畠親房の領所であったこと(北畠准后伝、南朝編年記略)寺地が笠間山陵に近いこと、さらに徳治二年(一三〇七)、永享元年(一四二九)の奥書をもつ大般若経六〇〇巻を蔵していることなどから、古くから栄えたものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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