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隼人舞 はやとまい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

隼人舞
はやとまい

九州大隅,薩摩地方に居住した隼人族の古代風俗 (ふぞく) 歌舞。隼人族は,大和朝廷に制圧されてのちは朝廷に服属して皇宮守護,歌舞教習などを任とし,隼人舞を大嘗会などの節会に演じた。舞については,ホスソリノミコト (海幸) を隼人族の遠祖とみて滑稽,物まね的な芸とする説,戦闘歌舞とする説などがあるが,中世に絶えているので芸態は明らかでない。

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大辞林 第三版の解説

はやとまい【隼人舞】

日本古代の舞踊。大隅・薩摩地方の隼人が行なった風俗歌舞で、大嘗祭だいじようさいなどに奏された。記紀によれば、隼人の祖先火照命ほでりのみこと(海幸彦うみさちひこ)が海水におぼれたときの様子を演じたものという。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

隼人舞
はやとまい

古代の大隅(おおすみ)・薩摩(さつま)半島に居住していた隼人族の歌舞。隼人舞の起源は明らかではないが、『古事記』『日本書紀』によると、弟の山幸彦(やまさちひこ)に屈伏して滑稽(こっけい)な演技を行った兄の海幸彦(うみさちひこ)、すなわち火照命(ほでりのみこと)(火闌降命(ほのすそりのみこと))を隼人の始祖とし、隼人は大和(やまと)国家に制圧されたのち、貢ぎ物を持って宮廷に参集し、服属を示す歌舞を奏したとある。やがて律令(りつりょう)制のもとで衛門府(えもんふ)の隼人司(つかさ)に属し、衛門の守護、内乱の鎮定、歌舞の教習、竹笠(たけがさ)の造作などに従った。このような経緯から隼人舞は著しく宮廷芸能化し、『延喜式(えんぎしき)』に「弾琴二人、吹笛一人、撃百子四人、拍子二人、歌二人、(まい)二人」の13人が大嘗会(だいじょうえ)に風俗歌舞を奏したとあるように、大儀で重要な役割を担っていたが、中世には断絶した。鹿児島県霧島(きりしま)市隼人町の鹿児島神宮で旧8月15日の放生会(ほうじょうえ)に行われている現在の隼人舞が、古代歌舞の隼人舞の系譜かどうかは明らかでない。[高山 茂]

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世界大百科事典内の隼人舞の言及

【海幸・山幸】より

…東西辺境の二大蛮族蝦夷(えみし)と隼人を服属させることは,古代国家確立のための必須条件であった。隼人は蝦夷より一時期早く宮廷に服従し,交替番上して大嘗祭(だいじようさい)に隼人舞を奏したり,また同じく大嘗祭や天皇の遠行の際に犬声を発して奉仕したが(蛮族の発声に悪霊をはらう呪力があると信じられた),これらはいずれも服属儀礼であった。ウミサチが溺れる様を演じたという上の話も,実は滑稽なしぐさを含む隼人舞の起源譚である。…

【隼人】より

…律令時代にも,隼人は隼人司の管掌下にあり,吠声して宮廷守護に当たった。《令集解》職員令では,隼人という名は吠声によると解しているが,海幸が服属したとき〈俳優(わざおぎ)の民〉とならんと誓ったとの隼人舞の起源伝承から,テンポの早いはやしをする人の意で〈はやと〉と名付けたのかもしれない。そのほか,古語に猛勇を〈はやし〉ということより起こるという説(本居宣長),《新唐書》倭国伝にみえる〈波邪(はや)〉の地名によるという説(喜田貞吉),暴風や8月の風を〈はやち〉と称することから,かかる疾風が夏季におそう地域を〈はや〉の地域といったという説(松岡静雄),などがある。…

※「隼人舞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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