日本歴史地名大系 「雁金町」の解説 雁金町かりがねちよう 京都市:下京区開智学区雁金町下京区高辻通麩屋町西入及び富小路西入東西に通る高辻(たかつじ)通(旧高辻小路)を挟む両側町。富小路(とみのこうじ)通の東と西に二ヵ所に分れる。平安京の条坊では町の北側は左京五条四坊三保一一町の南、町の南側は同一二町の北にあたり、平安時代中期以降は高辻富小路西の地。藤原定家の「明月記」正治元年(一一九九)一月二一日条に「又、静闍梨来之間、北方有火、仍向坊門高辻北、富小路西、小屋四、五宇焼云々、滅了帰」とみえ、鎌倉時代の初期、当町辺りは既に民屋集住の地であった様子がうかがえる。 雁金町かりがねちよう 京都市:中京区日彰学区雁金町中京区蛸薬師通高倉東入東西に通る蛸薬師(たこやくし)通を挟む両側町。中央を堺町(さかいまち)通、西側を高倉(たかくら)通(旧高倉小路)が通る。平安京の条坊では、左京四条四坊一保七町南及び同二保六町北。平安中期以降は四条坊門高倉小路の東。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「雁金町」とあり、中井家系の絵図は変化はない。一方、寛永一八年以前平安城町並図以来の刊行絵図及び「京雀」など町鑑類は、「三文字町」もしくは「三文字や町」とする。「雁金町」に統一されるのは、寛保以後の刊行絵図や宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」であり、その理由は不明だが、近隣の東洞院通三条下ル町に「三文字町」があり、混同を避けるためであろう。 雁金町かりがねちよう 京都市:下京区郁文学区雁金町下京区岩上通綾小路下ル南北に通る岩上(いわがみ)通を挟む両側町。平安京の条坊では左京五条二坊一保七町の地。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「雁金町」とあり、町内西側に間口二二間半の「小出大和守屋敷」があって、西裏の猪熊(いのくま)通まで敷地が続く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by