日本歴史地名大系 「雑喉場魚市場」の解説
雑喉場魚市場
ざこばうおいちば
江戸時代の雑喉場町の
元和四年に上魚屋町にあった一七軒の生魚商人が十七軒会屋(会屋は問屋の意)と称し、大坂城代内藤信政、大坂町奉行久貝正俊・島田直時に願出て、大坂唯一の生魚市場として特許を得、冥加金として銀九貫目を上納することになったといわれるが(雑喉場魚市場沿革史)、大坂城代・町奉行は同五年から始まったと考えられ、また冥加金の額が明和九年(一七七二)成立の生魚問屋株と同額であることなどを考えると、この段階での特権的な生魚市場の成立は疑わしい。一方、雑喉場町辺りはもと
さらに延宝七年には雑喉屋治郎兵衛・神崎屋喜兵衛・松屋三右衛門・松屋庄兵衛・海老屋庄兵衛・伊丹屋長右衛門の六名の生魚問屋が本店を上魚屋町から雑喉場に移し、旧地に残ったのは天満屋又兵衛・尼崎屋市左衛門・金子屋市兵衛・明石屋甚左衛門・永来屋彦左衛門のみ(「大阪市史」では三名)となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報