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雲竜久吉 ウンリュウヒサキチ

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デジタル大辞泉の解説

うんりゅう‐ひさきち【雲竜久吉】

[1823~1891]幕末の力士。第10代横綱筑後(ちくご)の人。本名、佐藤久吉。旧姓、塩塚。柳川藩のお抱え力士。横綱の土俵入り雲竜型考案者といわれている。→第9代横綱秀ノ山 →第11代横綱不知火(しらぬい)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

雲竜久吉 うんりゅう-ひさきち

1823-1891 幕末の力士。
文政6年生まれ。弘化(こうか)3年追手風(おいてかぜ)部屋に入門。嘉永(かえい)5年入幕し,故郷筑後(ちくご)(福岡県)の柳河(やながわ)藩主立花鑑寛(あきとも)にめしかかえられる。文久元年第10代横綱となり,横綱土俵入りの雲竜型をつくりだした。幕内成績127勝32敗。元治(げんじ)2年引退,年寄追手風を襲名。明治24年6月15日死去。69歳。旧姓は塩塚。本名は佐藤久吉。

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朝日日本歴史人物事典の解説

雲竜久吉

没年:明治24.6.15(1891)
生年:文政6(1823)
幕末の力士。10代横綱。筑後国(福岡県)山門郡大和村生まれ。本名塩塚(のち佐藤)久吉。嘉永・安政期に全盛を誇り,その土俵入りが華麗だったことから,「雲竜型」の名を今日に伝えている。ただし現在の雲竜型と違って,雲竜は片手ではなく両手を翼のように広げてせり上がったといわれる。幼少で両親を亡くし,力仕事に従事して120kgの石を担ぎ運んだという。初め大坂相撲に加入し,弘化3(1846)年江戸に出て追手風の門に入る。嘉永5(1852)年入幕してから4場所連続優勝をとげ,安政5(1858)年大関,文久1(1861)年に横綱免許を受けた。179cm,135kg。優勝相当成績7回,うち全勝5回を記録した。慶応1(1865)年引退して追手風を襲名,会所筆頭を務めた。<参考文献>池田雅雄『歴代横綱正伝』

(水野尚文)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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