日本大百科全書(ニッポニカ) 「青原行思」の意味・わかりやすい解説
青原行思
せいげんぎょうし
(671?―738/740)
中国、唐代の禅僧。中国禅宗第六祖慧能(えのう)の法嗣(ほうし)(弟子)。諡号(しごう)は弘済禅師(こうさいぜんじ)。俗姓は劉(りゅう)氏。吉州(江西省)安城の人。幼くして出家、曹渓宝林(そうけいほうりん)寺(南華寺)で慧能に参じ、悟りを開いてその法を嗣(つ)ぐ。のち吉州の青原山静居(じょうご)寺(吉安市郊外)で禅風を振るい、門弟を育成した。その遠孫から曹洞(そうとう)宗、雲門(うんもん)宗、法眼(ほうげん)宗がおこり、同門の南岳懐譲(なんがくえじょう)下から臨済(りんざい)宗、潙仰(いぎょう)宗が出て、中国禅宗の五家(ごけ)といわれた。弟子から仏法の大意を問われ、「盧陵(ろりょう)の米の値はいくらか」と答えたという話は有名。優れた法嗣に石頭希遷(せきとうきせん)がいる。開元(かいげん)26年(一説に28年)12月13日寂。
[松田文雄 2017年2月16日]