単于(読み)ゼンウ(その他表記)chán yú

デジタル大辞泉 「単于」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐う【×于】

匈奴きょうど君主称号

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精選版 日本国語大辞典 「単于」の意味・読み・例文・類語

ぜん‐う【単于】

  1. 〘 名詞 〙 匈奴(きょうど)首長尊称
    1. [初出の実例]「昔覇陵の李将軍と云ける大将、〈略〉単于と戦を決せんとしけるに」(出典:太平記(14C後)三八)
    2. [その他の文献]〔史記‐匈奴〕

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改訂新版 世界大百科事典 「単于」の意味・わかりやすい解説

単于 (ぜんう)
chán yú

匈奴の最高権力者の称号。匈奴遊牧国家の事実上の創始者である冒頓(ぼくとつ)(冒頓単于)のときから用いられ,その地位は部族連合体である匈奴の中核部族の攣鞮(れんてい)氏(虚連題氏)に独占された。単于の継承は先代の単于の遺言で決まる場合が多かったが,各部族集団の首長による合同会議で承認を受ける必要があった。その語源,語義については,《漢書》に〈単于は広大の貌〉と注することから,モンゴル語で非常に広大を意味するdeng ughu(現tong aghuu)にあてる説や,ギリシア語文献の音写から同じくモンゴル語の〈広いdelgüü〉に関連づける説など数種あるが,いずれも憶測の域を出ない。匈奴国家の崩壊後は,鮮卑烏桓(うがん),氐(てい),羌(きよう)などの諸民族集団でも使用されたことが確認されるが,5世紀初めモンゴル高原を支配した柔然の社崙(しやろん)が〈可汗〉と称してからはこちらが遊牧帝王の称号となり(ハーン),単于はたとえば唐の単于都護府などにその名をとどめるにすぎなくなった。
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百科事典マイペディア 「単于」の意味・わかりやすい解説

単于【ぜんう】

匈奴(きょうど)の最高権力者の称号。前209年冒頓(ぼくとつ)単于のときから用いられ,匈奴国家の崩壊後は鮮卑(せんぴ),烏桓(うがん),【てい】(きょう)の諸族でも用いた。後には,代わって可汗(かがん)の称(ハーン)を用いる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「単于」の意味・わかりやすい解説

単于
ぜんう

匈奴(きょうど)の君主の称号。支配氏族である攣鞮(れんてい)氏に独占され、前の単于の遺言などによって継承者が決められたが、最終的には氏族長会議で承認された。そののち、鮮卑(せんぴ)、氐(てい)、羌(きょう)などの国家でも用いられたが、5世紀の柔然(じゅうぜん)以後、モンゴル高原の遊牧国家の君主はハガン(可汗)と称するに至った。単于の意味については、『漢書(かんじょ)』に「広大」を示すというが、これには異説もあり、定説とはなっていない。

[護 雅夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「単于」の解説

単于(ぜんう)
chanyu

匈奴(きょうど)の君主の称号で,撐犂孤塗(とうりこと)単于の略称。のち鮮卑(せんぴ),氐(てい),羌(きょう)などでも用いられたが,柔然(じゅうぜん)以後,遊牧国家の君長はカガン(ハガン,可汗)と称するに至った。撐犂が「天(テングリ)」を意味することは明らかだが孤塗は定説がなく,単于は『漢書』に「広大」を示すというが異説もある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「単于」の意味・わかりやすい解説

単于
ぜんう
Chan-yu; Ch`an-yu

匈奴国家の君主の称号。5世紀の初めに柔然の君主が可汗と号するまで,鮮卑 (てい) , (きょう) などの諸族でも用いられた。語源,意味は不明。

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旺文社世界史事典 三訂版 「単于」の解説

単于
ぜんう

匈奴 (きようど) の君主の称号
冒頓単于 (ぼくとつぜんう) のときから用いられ,のち鮮卑 (せんび) ・氐 (てい) ・羌 (きよう) などでも用いられた。柔然からは「可汗」が使われるようになった。「強大」「強盛」「広大」を意味するとされているが,定説はない。

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普及版 字通 「単于」の読み・字形・画数・意味

【単于】ぜんう

匈奴の王の称号。

字通「単」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の単于の言及

【匈奴】より

…秦代,匈奴は秦将蒙恬(もうてん)のために破られ,オルドスをすてて陰山の北にのがれ一時ふるわなかったが,秦末には再びオルドスを回復した。このとき冒頓単于(ぼくとつぜんう)は武略にすぐれ,月氏,東胡,丁零などの遊牧諸民族を攻め破って,モンゴリア全域を支配するにいたった。前200年冒頓は山西省大同の北に王廷を設け,漢の北辺を荒らしたので,漢の高祖はみずから大軍を率いてこれを討ったが勝たず,匈奴騎兵32万のために大同の南東,白登山に包囲されること7日に及んだ。…

【中央アジア】より

…このような〈遊牧帝国〉とも呼びうる強大な国家が,中央アジア史上に華々しい活動を見せた,匈奴突厥(とつくつ),ウイグル,モンゴル帝国等の諸国家である。 これらの遊牧国家ないし遊牧帝国の君長は,それぞれの国家ないし帝国の形成にあたって,その形成の中核となった特定の一氏族の成員の中から選出され,単于(ぜんう)ないしハーンの称号を名のったが,これらの君長の選出や,外国遠征等の国家の重要事は,その国家の構成メンバーである諸部族の支配者たち,すなわちベグないしノヤンと呼ばれた遊牧貴族たちから成る国会(クリルタイ)の議を経て決定された。すなわち遊牧国家の君長は,彼らが特定の氏族のみから選出されるというところに由来するある種のカリスマ性を具有していたにせよ,十分の統率力をもちあわせぬ場合には,ただちに遊牧貴族らによって交替させられるという意味において,決して絶対的な君主ではなかった。…

【テングリ】より

…トルコ族やモンゴル族は,その族祖が天から遣わされ(高車,突厥(とつくつ)),天の定命によって生まれた狼であり(モンゴル),また光に感じて生まれた天の子である(モンゴル)と信じていた。そして彼らの王は,匈奴が王たる単于(ぜんう)を撐犂孤塗(とうりこと)単于(撐犂=tngri,孤塗=子,単于=広大)つまり大天子と称していたことに示されるように,天の子であり,シャーマンであると信じられていた。彼らはシャマニズム崇拝者として,天に対する強い尊崇の念を抱いていたために,彼らや彼らの王を天とかかわらせることによって神聖化し権威づけたのである。…

【遊牧国家】より

…その後,契丹,モンゴルが遊牧国家から出発し中国の一部または全部を征服し,遼・元という中国的王朝を建てたが,そこではステップの遊牧民族に対する支配のありかたが中国化することはほとんどなかった。 遊牧国家の君主は匈奴,鮮卑などは単于(ぜんう)と称し,柔然あたりから可汗,汗と称したが,王位継承法が不備であったこともあって王族間に王位継承争いが頻発し,これが遊牧国家を分裂に導き短命に終わらせることが多かった。匈奴の南北への分裂,突厥の東西への分裂,モンゴル帝国の元朝と4ハーン国への分裂がその例である。…

※「単于」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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