京都市中京区にある天台宗の寺。〈かわどう〉ともいう。正称は霊麀山(れいゆうざん)行願寺。当寺は平安中期の1004年(寛弘1),行円が創建した。行円は叡山の横川(よかわ)の聖(ひじり)で,常に鹿の皮衣をまとい,巷で庶人を教化した。当時,〈皮聖人(かわしようにん)〉とか〈皮聖〉と呼ばれ,これが当寺を革堂と呼ぶもととなった。行円が庶人に仏との結縁(けちえん)を勧めて回国する聖だったので,当寺には創建当初から貴賤の結縁者が多かったが,中世になると,本尊千手観音の霊験が現世利益を求める観音信仰の流行のなかで世に喧伝され,西国三十三所観音巡礼の札所や洛陽七観音の一つに数えられ,ますます庶民の信仰を集めた。とくに中世後期,下京の六角堂に対し,上京の町堂として町衆の有事のときの集会所になった。寺地は中世まで上京小川新町,近世中期に現地に移り,この間,幾たびか火災にかかり,現本堂などは幕末の再建である。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
→行願寺
…行円は叡山の横川(よかわ)の聖(ひじり)で,常に鹿の皮衣をまとい,巷で庶人を教化した。当時,〈皮聖人(かわしようにん)〉とか〈皮聖〉と呼ばれ,これが当寺を革堂と呼ぶもととなった。行円が庶人に仏との結縁(けちえん)を勧めて回国する聖だったので,当寺には創建当初から貴賤の結縁者が多かったが,中世になると,本尊千手観音の霊験が現世利益を求める観音信仰の流行のなかで世に喧伝され,西国三十三所観音巡礼の札所や洛陽七観音の一つに数えられ,ますます庶民の信仰を集めた。…
※「革堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...