改訂新版 世界大百科事典 「鞠智城」の意味・わかりやすい解説
鞠智城 (きくちじょう)
熊本県山鹿市の旧菊鹿町大字米原を中心に築かれた古代の朝鮮式山城。後には菊池城と書いたが,もとは〈くくちじょう〉と呼ばれた。築城の年代は明らかでないが,698年(文武2)に大宰府が大野城,基肄(きい)城とともに繕治しているので,これらとほぼ同時に築かれたのであろう。この築城は白村江敗戦後の国防態勢整備の一環でもあろうが,立地からみて肥(肥後)地方に勢力を張った豪族の火君あるいは南九州の隼人(はやと)に対する意味も考えられている。858年(天安2)には菊池城院の兵庫の鼓が自鳴し,不動倉11宇が焼けるという事件があり,多数の倉庫が存したと考えられる。部分的に発掘調査され,南辺で2km以上の土塁や門礎などが検出されたが,城の範囲については広狭2説があり,未確認である。城内では数ヵ所で倉庫跡と推定される礎石群が確認されているが,中央部の長者原地区では炭化米も出土し,その西の宮野地区では柱間8尺の3×9間のものが検出されている。
執筆者:倉住 靖彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報