白村江(読み)ハクソンコウ

  • Baekchon-kang
  • はくすきのえ
  • はくそんこう ‥カウ
  • はくそんこう〔カウ〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝鮮,古代三国の一つである百済の滅亡後,その遺民およびこれを支援する日本軍と,新羅と唐の連合軍が戦った河川名。百済の滅亡後,その遺民鬼室福信らは任存城に拠って抵抗を続け,当時日本にいた王子豊璋 (→豊璋王 ) を迎えて日本の支援のもとでなお戦う準備を進めた。日本では斉明天皇が皇太子中大兄皇子 (→天智天皇 ) を従えて西下したが陣中に没し,代って皇太子が執政した。王子豊璋を擁した日本軍は周留城に入ったが,百済側で内訌が起り,福信は豊璋に殺された。新羅の文武王は唐将孫仁師,劉仁願らとともに周留城を攻め,一方劉仁軌らは水軍を率い白江 (白村江) に下って来着した日本水軍と戦った。これが白村江の戦いといわれるもので,『日本書紀』によれば天智天皇の2年,唐の高宗の竜朔3年,新羅の文武王の3年 (663) ,8月のことであった。海戦は2日目に日本水軍の大敗によって勝敗が決り,豊璋は高句麗に逃れた。この戦いは以後の唐,新羅による高句麗征討の布石となるべきものであり,また日本にとっては,古代以来の対朝鮮進出政策が完全に挫折し,対外政策が大きく変る転機となった。白村江 (日本では「はくすきのえ」と読む) が現在のどこに比定されるかについて錦江下流右岸とする津田左右吉,池内宏らの見解が有力であるが,なおほかにも異説が提出されており,確定をみない。

白村江」のページをご覧ください。

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精選版 日本国語大辞典の解説

韓国南西部、全羅北道の川の古名。群山市付近の錦江河口に、あるいは東津江河口にあたると考えられる。はくそんこう。
※書紀(720)天智二年八月(北野本訓)「我自ら往きて白村(ハクスキ)に饗へむ〈略〉大唐の軍将、戦船一百七十艘を率て、白村の江に陣烈(つらな)れり」

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世界大百科事典内の白村江の言及

【錦江】より

…韓国,中西部の川。古くは白村江とよんだ。小白山脈の俗離山,白雲山などから発し,大田盆地,全北平野などの流域平野を発達させながら,群山港において黄海に注ぐ。…

【白村江の戦】より

…朝鮮南西部の錦江河口付近で663年,日本軍と百済復興軍とが唐・新羅の連合軍と交じえた戦い。白村江(〈はくすきのえ〉ともよむ)は錦江の古名。戦争は2日にわたって行われたが,河口の岸上に陣を張った百済軍は文武王のひきいる新羅軍に打ち破られ,日本軍は海上で蘇定方のひきいる唐軍に敗北した。…

【錦江】より

…韓国,中西部の川。古くは白村江とよんだ。小白山脈の俗離山,白雲山などから発し,大田盆地,全北平野などの流域平野を発達させながら,群山港において黄海に注ぐ。…

【白村江の戦】より

…朝鮮南西部の錦江河口付近で663年,日本軍と百済復興軍とが唐・新羅の連合軍と交じえた戦い。白村江(〈はくすきのえ〉ともよむ)は錦江の古名。戦争は2日にわたって行われたが,河口の岸上に陣を張った百済軍は文武王のひきいる新羅軍に打ち破られ,日本軍は海上で蘇定方のひきいる唐軍に敗北した。…

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