須和田遺跡(読み)すわだいせき

日本歴史地名大系 「須和田遺跡」の解説

須和田遺跡
すわだいせき

[現在地名]市川市須和田二丁目

国分こくぶん台と真間ママ山の台地から東西に延びる長さ約六〇〇メートルの細長い須和田台地のほぼ中央部にある。弥生時代中期から奈良・平安時代に至る各期複合の集落跡で、規模のうえでは古墳時代以降が圧倒的に大きい。昭和五年(一九三〇)同地から多量の土師器が出土し、同七年学界に初めて紹介された。以来、同四五年まで一四回にも及ぶ発掘調査が実施され、検出された住居跡も一四〇軒以上にも上っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「須和田遺跡」の意味・わかりやすい解説

須和田遺跡
すわだいせき

千葉県市川市須和田二丁目にある弥生(やよい)時代中期から奈良・平安時代に至る各期複合の集落遺跡下総(しもうさ)台地の南西端に位置し、真間(まま)山の台地から東西に延びる細長い須和田台地のほぼ中央部に存在する。西方から農耕が伝わった際に南関東ではいち早く受け入れた所でもあり、同地方最古の弥生式土器である須和田式土器標準遺跡。さらに、その後も同一台地上に集落が営まれ、奈良・平安時代に位置づけられる真間式土器、国分(こくぶ)式土器の標準遺跡ともなっている。西方には下総の国府が設置され、また北方には国分寺が建立されているなど、須和田遺跡はその両方ともかかわりがあり、この地方における奈良・平安時代の研究上重要な遺跡である。

[熊野正也]

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