日本大百科全書(ニッポニカ) 「須坂藩」の意味・わかりやすい解説
須坂藩
すざかはん
信濃(しなの)国高井郡須坂(長野県須坂市)に陣屋を置いた外様(とざま)小藩。藩祖堀直重(なおしげ)は関ヶ原の戦い後下総(しもうさ)(千葉県)2000石を拝領、同国矢作(やはぎ)に居館。1610年(慶長15)高井郡6000石、15年(元和1)同郡4053石を加増され、須坂に本拠を移した。2代直升(なおます)は矢作領を弟に分知、高井郡1万0053石、13か村を領した。14代を重ねて廃藩に至る。11代直格(なおかた)は藩政改革を進め、藩校立成館を創立、自身も『扶桑(ふそう)名画伝』の著者として知られる。13代直虎(なおとら)は若年寄(わかどしより)兼外国奉行(ぶぎょう)を勤め、1868年(慶応4)正月、抗戦・恭順をめぐる幕閣の会議のおり江戸城中で諫死(かんし)した。71年(明治4)廃藩、須坂県を経て長野県に編入。
[古川貞雄]