日本歴史地名大系 「須脇村」の解説 須脇村すわきむら 岐阜県:海津郡平田町須脇村[現在地名]平田町三郷(さんごう) 須脇大尻(おおじり)村の北東にあり、北を大榑(おおぐれ)川が流れる。天正一一年(一五八三)九月一日の織田信雄宛行状(吉村文書)に「すわき」とみえ、当地を含めて計一四ヵ所三千貫余の地が吉村氏吉に与えられている。同一四年七月二三日、小牧・長久手の戦の賞として須脇郷一一三貫六六六文など四千八一九貫五一文が氏吉に与えられた(「織田信雄黒印知行目録」同文書)。慶長郷帳に村名がみえ、高三〇〇石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では徳永昌重(高須藩)領。正保郷帳では幕府領で、田一八二石余・畑七五石余、無地高五四石余となっている。元禄郷帳では高須藩領で、高三一二石余。 須脇村すわきむら 愛知県:西尾市須脇村[現在地名]西尾市須脇町市の東を西南流する矢作古(やはぎふる)川の右岸に展開する沖積地に開けた集落よりなる。北は下細池(しもほそいけ)村、東は十郎島(じゆうろうしま)村、南は斎藤(さいとう)村、西は菱池(ひしいけ)村に隣する。村名の由来については、「三河堤」に「洲脇」と記されているように、自然堤防の高地の端に州が広がっていた地形からきたものと思われる。弓取(ゆみとり)川沿いに船着場があったが、弓取川廃川後は北新田・下新田などの新田に化した。近世は西尾藩領。元文元年(一七三六)の村高二七一石七斗余、新田畑は二二石を超える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報