須藤五郎(読み)スドウ ゴロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「須藤五郎」の解説

須藤 五郎
スドウ ゴロウ


肩書
日本共産党名誉中央委員,元・参院議員

別名
筆名=鳥羽 英夫

生年月日
明治30年9月14日

出生地
三重県鳥羽市

学歴
東京音楽学校〔大正12年〕卒

経歴
東洋音楽学校で教鞭をとり、大正11年宝塚歌劇団の作曲家、指揮者となった。昭和3年3.15事件で日本共産党中央が壊滅したが、党に資金カンパを続けたため5年2月検挙され投獄留置場で作曲した「しぐれに寄する抒情」は三浦環に愛誦された。戦後、宝塚労働組合を結成したが不当解雇された。23年日本共産党入党、25年参院全国区に当選、52年に引退するまで当選4回。国対委員長もつとめた。音楽労働者の先達として日本作曲家協議会委員も務めた。

所属団体
日本作曲家協議会(委員) 日ソ協会(顧問) 日中友好協会(顧問)

没年月日
昭和63年11月18日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「須藤五郎」の解説

須藤 五郎
スドウ ゴロウ

大正・昭和期の作曲家,指揮者,政治家 日本共産党名誉中央委員;元・参院議員。



生年
明治30(1897)年9月14日

没年
昭和63(1988)年11月18日

出生地
三重県鳥羽市

別名
筆名=鳥羽 英夫

学歴〔年〕
東京音楽学校〔大正12年〕卒

経歴
東洋音楽学校で教鞭をとり、大正11年宝塚歌劇団の作曲家、指揮者となった。昭和3年3.15事件で日本共産党中央が壊滅したが、党に資金カンパを続けたため5年2月検挙され投獄。留置場で作曲した「しぐれに寄する抒情」は三浦環に愛誦された。戦後、宝塚労働組合を結成したが不当解雇された。23年日本共産党入党、25年参院全国区に当選、52年に引退するまで当選4回。国対委員長もつとめた。音楽労働者の先達として日本作曲家協議会委員も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「須藤五郎」の解説

須藤五郎 すどう-ごろう

1897-1988 大正-昭和時代の指揮者,社会運動家,政治家。
明治30年9月14日生まれ。大正12年宝塚歌劇団の作曲・指揮担当となる。戦後,宝塚労働組合を結成し委員長。昭和25年参議院議員(当選4回,共産党)。昭和63年11月18日死去。91歳。三重県出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。筆名は鳥羽英夫。歌曲集に「しぐれ」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「須藤五郎」の解説

須藤 五郎 (すどう ごろう)

生年月日:1897年9月14日
大正時代;昭和時代の作曲家;政治家。日本作曲家協議会委員;参議院議員
1988年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android