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三浦環 みうら たまき

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美術人名辞典の解説

三浦環

ソプラノ歌手。東京生。東京音楽学校卒。在学中に日本人によるオペラの初公演「オルフェオとエウリディーチェ」に主演する。欧米の大歌劇場で活躍し、日本人としては最初の国際的プリマ・ドンナである。昭和21年(1946)歿、63才。

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デジタル大辞泉の解説

みうら‐たまき【三浦環】

[1884~1946]ソプラノ歌手。東京の生まれ。ロンドンでオペラ「蝶々夫人」に主演して成功し、以後オペラ歌手として世界的名声を得た。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

三浦環【みうらたまき】

ソプラノ歌手。東京生れ。旧姓柴田。東京音楽学校卒。在学中の1903年日本人による初のオペラ公演(グルックの《オルフェオとエウリディーチェ》)に出演。1914年渡欧し,翌年ロンドンでデビュー,1918年カルーゾーシカゴで共演するなど活躍。
→関連項目石井漠

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三浦環 みうら-たまき

1884-1946 明治-昭和時代のソプラノ歌手。
明治17年2月22日生まれ。東京音楽学校(現東京芸大)在学中,明治36年日本初のオペラ公演に参加。同校助教授,帝劇歌劇部をへて大正3年夫三浦政太郎とともに渡欧。翌年ロンドンで「蝶々(ちょうちょう)夫人」をうたって好評を博し,以後昭和10年の帰国までに欧米各地で2000回出演を記録した。昭和21年5月26日死去。63歳。東京出身。旧姓は柴田。著作に「歌劇お蝶夫人」。
【格言など】日本は文化では何一つ一等国仲間入りをしてない(「自叙伝」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

三浦環

没年:昭和21.5.26(1946)
生年:明治17.2.22(1884)
明治から昭和戦前のオペラ歌手(ソプラノ)。歌劇「蝶々夫人」の国際的歌手として著名。東京生まれで,父は日本初の公証人柴田孟甫。東京音楽学校(東京芸大)在学中から,明治36(1903)年の歌劇「オルフェウス」ほかに活躍。卒業後は同校で教職に就くが,音楽家生活のため,入学前に結婚した軍医藤井善一と40年に離婚し話題となる。44年帝国劇場設立で専属となり,三つの創作歌劇などに主演後,帝劇を離れて医師三浦政太郎と結婚。大正3(1914)年夫妻で渡欧し,ロンドンで指揮者ウッドに認められ,独唱会と翌年の「蝶々夫人」主演で,西欧的演奏に比し「新鮮さ」で大成功。渡米してシカゴを最初にアメリカ大陸とのちに欧米の各地で蝶々さんを歌い大活躍し,「イリス」と「お菊夫人」アメリカ初演にも主演した。大正9年政太郎の帰国後も海外にとどまり,同11年の環の一時帰国で伴奏者との関係が話題を醸す。昭和4(1929)年政太郎死去。7年までに2000回(おそらくアリアだけの演奏も含む)の「蝶々夫人」を終えて帰国。その後は11,12年の「蝶々夫人」公演のほか,門下生とのオペラ数回と,演奏会,放送,レコードなどに活躍。21年4月15日に最後の放送録音をして,40日後に腹部腫瘍(おそらく癌)で死去した。当時の日本の音楽界で図抜けた才能・識見・業績にもかかわらず,生来の率直で飾らぬ性行が誤解を生み,国内での晩年は比較的に不遇だった。吉本明光編『お蝶夫人』のほかに著書2冊とSP録音のレコード多数がある。

(増井敬二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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江戸・東京人物辞典の解説

三浦環

1884〜1946(明治17年〜昭和21年)【声楽家】プッチーニが「世界でただ一人の蝶々」と讃えたソプラノ歌手。 日本人初の国際的プリマドンナ。明治〜昭和期のソプラノ歌手。東京都出身。日本オペラ創成期の世界的プリマドンナ。1904年(明治34)東京音楽学校卒。在学中の1903年日本人による初の歌劇「オルフォイス」に出演。1910年帝劇歌劇部専属歌手となる。1915年(大正4)ロンドンで世界的指揮者ヘンリー・ウッドに見いだされ、欧米各地で「蝶々夫人」を公演して好評を博した。作曲家プッチーニは「世界でただ一人の理想的な蝶々」と激賞した。

出典|財団法人まちみらい千代田
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世界大百科事典 第2版の解説

みうらたまき【三浦環】

1884‐1946(明治17‐昭和21)
ソプラノ歌手。蝶々夫人を当り役として,国際的に活躍し,日本の演奏家の秘められた可能性を内外に強く印象づけた先覚者。1904年東京音楽学校卒業,同校助教授を務めたのち帝国劇場歌劇部で活躍。14年渡欧し,翌15年ロンドンで《蝶々夫人》に出演。16年シカゴ・オペラに招かれて渡米,18年にはメトロポリタン歌劇場でも蝶々夫人を歌った。その後欧米の歌劇場に出演,国際的歌手として名を上げた。36年帰国。《蝶々夫人》の主役を2000回以上演ずるという記録の持主であり,《世界のオペラ》(1912),《歌劇お蝶夫人》(1937)の著書もある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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大辞林 第三版の解説

みうらたまき【三浦環】

1884~1946) ソプラノ歌手。東京生まれ。東京音楽学校卒。帝国劇場歌劇部で活躍後渡欧し、ロンドンで「蝶蝶夫人」を演じて認められ、以後欧米で主演歌手として活躍、日本の生んだ初の世界的プリマ-ドンナとなった。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三浦環
みうらたまき

[生]1884.2.22. 東京
[没]1946.5.26. 東京
ソプラノ歌手。日本で最初の国際的なプリマドンナとして活躍。1904年東京音楽学校卒業。在学中日本人による最初の歌劇『オルフォイス』 (クリストフ・ウィリバルト・グルック作曲の『オルフェオとエウリディーチェ』) の主役となる。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三浦環
みうらたまき
(1884―1946)

ソプラノ歌手。旧姓柴田(しばた)。明治17年2月22日、東京に生まれる。1903年(明治36)東京音楽学校在学中、同校の奏楽堂で、日本人による最初のオペラ公演、グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』でエウリディーチェ役を歌った。翌年卒業後、母校の助教授となるが、11年、帝国劇場歌劇部の主席歌手として迎えられる。13年(大正2)三浦政太郎と結婚。翌年5月渡欧し、ロンドンで指揮者ウッド卿(きょう)にみいだされ、同年秋、同地で演奏会を開き人気を博した。15年、ロシアの名歌手ロージンとプッチーニ作曲『蝶々夫人(ちょうちょうふじん)』を歌い大好評。以後、欧米各国で20年間に2000回にわたり蝶々さんを演じた。その明澄甘美な歌声は、作曲者のプッチーニに「わが夢」と激賛されるほどであった。35年(昭和10)帰国し、翌年、2001回目の『蝶々夫人』演奏会を歌舞伎(かぶき)座で開催。以後、死去までの10年間は日本で演奏・教育活動を行い、昭和21年5月26日、東京で死去した。[寺崎裕則]
『瀬戸内晴美著『お蝶夫人』(講談社文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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