日本歴史地名大系 「頼政神社」の解説
頼政神社
よりまさじんじや
頼政神社
よりまさじんじや
由来は「永享記」に「城南東方に竜崎と云所に、有源三位頼政之廟、一説伊豆守仲綱尋其由来、三位入道於平等院自害之後、郎等下河辺三郎行吉と云人、此地之住人也けるか、頼政の首を討て、衰老の頸を獄門にさらされん事を、無念なりと宣しとて、不違遺言、作山伏之姿、彼首を入桶納笈裡、諸国修業して、後帰本国に、此処に笈を置けるに、此笈少も不動、大石のことく、是は不思議なり、此地に住せ給ふへき験にやとて、此館の鎮守に奉祝」とあり、「古河志」の引く享保元年(一七一六)の縁起も同様のことを記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報